2012年6月1日金曜日

Shorebird 進化心理学中心の書評など


[書評] 「The Folly of Fools」 21:06

本書は互恵的利他行為,親の投資,コンフリクトなどの数々の啓発的な進化理論を主導したことで知られる進化生物学者ロバート・トリヴァースによる自己欺瞞についての本だ.トリヴァースは「動物の信号が(ドーキンスのいうように)他者への操作のためだとしたら,それは相手側に嘘を見抜くような対抗進化を生じ,さらに操作側に見破られないための自己欺瞞が進化するだろう」というアイデアを最初に思いつき,それを1976年のドーキンスの「利己的な遺伝子」初版の序文で提示したことで知られている.それから35年経ってついにそれを一冊の本に仕上げたというわけだ.なお原題の「The Folly of Fools」は「馬鹿どもの愚行」というぐらいの意味だが,本書では自己欺瞞による様々な人々の愚行が(トリヴァース本人のものも含めて)これでもかこれでもかというぐらい取り上げられていて,なかなか異様な迫力を持つ本になっている.

本書は,まず自己欺瞞の進化的な議論がなされ,その後は各論が手当たり次第に取り上げられるという構成になっている.

まずトリヴァースがこの問題を考え始めた経緯が書かれている.それによると70年代の初め,遺伝子視点からの適応度を考えることにより様々な生物の社会理論を作ることができたが,自己欺瞞の「何故正確な情報を集めているのにそれをわざわざ歪め捨てるのか」という問題は理解困難だったそうだ.そして1972年に「他者を(操作するために)よりうまく騙そうとすること」によりそれが理解できることに思い至ったと書かれている.

トリヴァースの主張は「他人をうまく騙すために情報を再構成し自分を騙す」ことが自己欺瞞の本質だというものだ.これはクツバンの意識の報道官モジュールという考え方により自己欺瞞を説明しようという主張の基礎になったものだと言えるだろう.

トリヴァースは,これはヒトに限らずおよそ信号システムがあるところではどこでも生じる問題であること,「騙し」の問題にはきれいな解は無く,アームレースになることを強調している.

トリヴァースの解説はアームレースとしての側面に重心が置かれる.最初は「検知」

自己欺瞞が騙しや操作の検知を逃れるためのものであるなら,そもそもヒトはどのように他人の欺瞞を検知するのだろうか.トリヴァースは「嘘をつくために神経質になっていること」「より自分をコントロールしようとして抑制されすぎたりオーバーにリアクトすること」「嘘を一貫させるための認知的負荷が与える影響」という候補を検討し,これまでの実験や犯罪捜査などのデータからは3番目のものが最も重要らしいとしている.具体的には嘘をつくことに集中するために動きが減ること,他の刺激への反応が遅れること,無意識のプロセスが表に出ること(抑制コントロールが弱まる,癖がより出るなど)などだ.

また言語的な手がかりとしては,1人称代名詞が減る,修飾的な語句が減り叙述が単調になる,否定形が多くなることが挙げられていて面白い.ここでトリヴァースははっきりとは書いていないが,要するにこのように騙しは検知されうるので,これへの対抗として自己欺瞞が生じうるのだといいたいのだと思われる.

では具体的にどのような自己欺瞞があるのか.トリヴァースは様々な自己欺瞞の現れ方を並べている.


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  1. 自己の膨張:典型的には自信過剰やナルシシズム(特に自分が特別扱いされるべきだと考える傾向)がある.トリヴァースは自分の経験として女の子とデートしていて通りのウィンドウに移った自分の顔がものすごく老けているのにびっくりしたことを挙げている.
  2. 他者の貶め:これは自信過剰の裏返しだ.社会心理学では脅威を受けたときの戦略として記述されているそうだ.
  3. イングループ・アウトグループへの拡張:上記の自信過剰,他者の貶めをイングループ,アウトグループに拡張するもの.
  4. パワーのバイアス:これは権力を持つとより他人の視点に立たなくなる傾向を指している.
  5. モラルの優秀性:トリヴァースは偽善はヒトの深い本性だと書いている.ある意味1番目の自信過剰と同じだろう.
  6. コントロール幻想:トリヴァースはストックブローカーにコンピュータスクリーン上を動くチャート図を見せ,マウスのクリックでコントロールできたかどうかを尋ねるという実験を紹介している.全くランダムに動かしていても彼等はコントロールできたと報告したそうだ.(なお株屋と普通の人で差があるかという面白い問題には触れられていない)
  7. バイアスした社会理論の構築:トリヴァースの記述はだんだん辛辣になる.自分の社会関係をどう捉えるかにもバイアスがかかるのだ.いろいろな例があげられていて面白い.(この結婚では自分の方が我慢している,労働者は搾取されている,格差社会だ)これらは世界を歪んで認知しているだけでなく,それをもって(無意識に)他人を騙そうとしているのだというのがトリヴァースの主張だ.
  8. 嘘の自分の物語:ヒトは自分を持ち上げ,他人をこき下ろす物語を常に作り続けている.トリヴァースは,(自分も含めて)個人的な経験を誰かに話すときにこのことに気をつけていても中立的な物語をするのは非常に困難だと書いている.
  9. 欺瞞のためのモジュール:これはそのほかのものとちょっと異なるが,無意識に他人を騙そうとするモジュールが(本人が気づいていないだけで)さまざまにあるに違いないという指摘だ.

トリヴァースは,「自己欺瞞は欺瞞の検知をすり抜けるために意識に偽の情報を持たせるものだ」と整理する,すると「真実は一般に有用なので意識外に持っていることが多いはずであり,心は複雑であるだろう」「またこのような偽の情報を持つこと,心が複雑であることはコストがかかるはずだ」と指摘している.さらに騙す側に対して騙される側の対抗があり共進化する.つまり進化的には非常に面白い問題になるのだ.

なおこの部分では共進化の例として托卵,アリ擬態などの問題が詳しく解説されている.検知に対するランダムさの戦略,騙しに対する「怒り」という戦術(騙す側の検知されたときのコストを増やしていると理解できる.これにはただ乗りの問題も生じると思われるがトリヴァースはそこまでは� ��ってくれていない),欺瞞を意識していると思われる動物の例,騙しを入れた進化ゲームの複雑さなどは行動生態的に面白くてなかなか読み応えがある.

トリヴァースはここで,「信号と騙しについてはハンディキャップ理論があるのだが,実際には常に騙しの余地が観察される.動態としては共進化とともに平衡が動いていくことになるのだろう.そしてこれについて30年考えているが,未だに全体を統一的に説明できるよいアイデアは得られていない」と書いている.結局本書は一貫した理論は得られていないのだがここまでの30年間の思索をまとめたものだということだろう.これは本書が読みにくくすっきりとした本にはなっていない理由でもあるのだが,逆に問題の難しさがわかり,なかなか含蓄が感じられるところだ.

進化的な議論の次は自己欺瞞の至近的な問題を扱っている.

心のなかで「意識」が及ぶのはごく一部に過ぎないこと,脳の一部は別の一部を抑制しようとすることがあることなどについての議論がなされ,意識が後追いであること,脳の左右半球の話などが取り上げられている.ここでは意識的にある考えを抑制することが難しい理由について,何を抑制しようとしているのかをサーチする無意識の心の過程が抑制しようとする意識的な努力と干渉するからだろうと考察されていて面白い.

また脳の一部を外部から電磁的に抑制する最近の実験結果についても触れていて,騙しに関連するaPFC部位を抑制すると嘘をうまくつけ罪の意識が抑えられる結果になることが紹介されている.脳の一部を抑制するとある種のタスクの成績が向上するというのはよく考えると驚きの事実だ.


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私は昔から,「相手をうまく操作するための適応が生じるとしても,何故単にうまく嘘がつけるように進化せずに自己欺瞞という形をとるのか」について不思議に思っているのだが,トリヴァースの議論は(はっきりと書いているわけではないが)要するに自己欺瞞という形の方が簡単に目的を達成できるということなのだろう.意識が介在することによりよりタスクが難しくなるということと,意識を介在させることによりより様々なことをコントロールできるというトレードオフがあり,タスクの種類により意識が介在したりしなかったりするということなのかもしれない.私としては「そもそも意識の役割が報道官であってその目的のためには知らない方がいいことは知らない」というクツバンの説明の方がスマートなような気� ��するところだ.もっとも厳密にはこの2つの説明は排他的というわけではないのだろう.

つづいてトリヴァースは他者の操作のアームレースに絡むやや複雑な問題を取り上げている.

まず「他者から操作された結果誘発された自己欺瞞」の可能性.これは「他者を操作するための適応が共進化の過程で逆に相手から操作に利用される」という深い過程を議論していることになる.ここでは誘拐とストックホルム症候群,夫側の理屈にとらわれるDV被害者の妻などの問題が扱われている.

ここではそのほかに「黙示の自己欺瞞」「他人の記憶の操作」「操作に対する防衛としての自己欺瞞」「お世辞」「詐欺の手口」「児童虐待の偽記憶」「自己欺瞞が心の免疫ではあり得ないこと」「プラセボ効果」「自己催眠」なども議論されている.議論の基本は,このような現象が誰のためにどんな利益になっているかを考えていくというもので,なかなか深くて複雑だ.

トリヴァースのプラセボ効果の議論はちょっと面白い.まず治療によりコストがかかったり侵襲性が大きい方がプラセボ効果が大きいことが強調されている.さらにプラセボ効果には個人差が多いことから,これは操作にかかる複雑な状況が背景にあるだろうとしている.要するに「よりコミットされたものについて正当化する自己欺瞞が誘発されている」のではないかというものだ.ハンフリーやクツバンの「社会的な支援状況に応じた治癒戦略のスイッチ」という考え方よりも,操作に対するアームレース上の現象という方が複雑な状況を喚起しやすく,個人差についてはより説明力があるようにも思われる.

ここを読むと,ヒトがヒトを心理的に操作しようとするときにいかに複雑なことが生じうるかがよくわかるし,その産物である自己欺瞞がすっきりと割り切れない理由も理解できるように思う.

ここからは各論になる.そのなかには全体の進化理論との関係が整理されていないものもあるし,わかっていないことも多いが,トリヴァースの論点はいずれもなかなか興味深いものだ.

「家族関係の中の自己欺瞞」

この背景のアームレースはもちろんトリヴァース自身の手による「親子コンフリクト」だ.またゲノミックインプリンティングも強調されている.個別例としては虐待された子供側の虐待事実の抑圧という自己欺瞞が虐待者との血縁度と相関すること,ゲノミックインプリンティングは自己欺瞞に非常に深く複雑な影響を与える可能性があることが取り上げられている.

また子供における騙しの発達過程,親からの強制.抑圧と自己欺瞞の関係も深く議論されている.

「セックスと自己欺瞞」

この背景のアームレースはもちろんオスメス間コンフリクトのもので,有性生殖の進化的議論が紹介されている.ここではハンディキャップ理論における対称性と,それに操作や欺瞞が入り込む過程を議論していて面白い.

対称性が優秀性のディスプレーになれば,オスはより対称に見える方角からディスプレーしようとするし,真に対称な個体はわざわざ両方の角度からディスプレーするのだ.

トリヴァースはこのほか「男性と女性がそれぞれ相手に求めるものが異なること」「浮気の有無」「排卵隠蔽」「ホモの否定」などを取り上げている.

「自己欺瞞と免疫」

トリヴァースによれば,免疫は極めてコストが高いので様々な問題とトレードオフになる.そして自己欺瞞とも実際に関連するのだ.ここではいろいろなリサーチ(トラウマや秘匿していることを日記に書くだけで免疫機能があがるというリサーチもある)が紹介されているが,そこで示されるのは,「ヒトは真実を隠そうとすると免疫機能が下がる」ということだ.トリヴァースは免疫のコストは脳における遺伝子発現(うまく嘘をつくのに必要になるのだろう)とトレードオフになっているのではないかと推測している.

この章では,ポジティブな感情,音楽と免疫の関係なども議論されている.何故そうなっているのかはよくわかっていないようだが,それぞれ興味深いところだ.

「自己欺瞞の心理学的プロセス」


折り畳まれた山々はどのように形成しない

ここでは自己欺瞞に陥っているときに心がどう動くかを取り扱っている.情報収集にバイアスがかかる(見たいものしか見ない),情報解釈にバイアスがかかる(都合よく解釈する),記憶のバイアス(都合の良いことをよく思いだし,悪いことは忘れる),自己の正当化,将来の自分の感情を予測できない(正常への回帰を予測できない),否定と投影(現実を否定し,偽の現実を作る),認知的不協和などが議論されている.

そしてこのようなプロセスを利用すると,誰かに偽の記憶を植え付けたり,証人に望み通りの証言を行うように誘導することができることや,一旦現実を否定するとそれにコミットして深みにはまりやすいこと,都合の悪い情報には安逸な解決策で解決できるという正当化に走りやすいことなどが解説されている.

なおこの心理学的プロセスの議論はそもそも自己欺瞞は他者の操作のためだという総説ときちんと対応させてなく物足りない.何故認知的不協和が生じるのか,それは他者の操作にどう役に立つのかの議論があるべきだろう.

ここからは自己欺瞞の具体例が取り上げられて解説される.

「毎日の生活の中の自己欺瞞」

最初に,「自信過剰傾向の大きな人ほどより株式市場で頻繁にトレードし,(手数料の分だけ)成績が悪いこと」が取り上げられていて面白い.トリヴァースはアメリカ株式市場の回転率自体が過剰であるとも書いている.つまり株式市場の現在の規模は自己欺瞞の上に構築されたものだというわけだ.このあたりは国際比較すると面白いところだがその記述はない.

ここでは婉曲語法(メタファーが自己欺瞞を示すことがある),自分の名前に使われる文字への(無意識の)選好(自己欺瞞の1つとしてのナルシシズム),自己を低く見せる自己欺瞞(そのような方が有利であればそういう自己欺瞞も生じる:わからないふりをした方が有利な状況など),スパム(アームレース状況の例),アンチ自己欺瞞としてのユーモア,ドラッグと自己欺瞞(ドラッグをやるときにはその害について自己欺瞞を起こして軽く考える),詐欺師の手口(相手の自己欺瞞を利用した操作)などの問題も取り上げられている.必ずしも自己欺瞞と深く関連しているものや,データに裏付けられているものばかりでもないが,それぞれ具体的で面白い問題を扱っている.

「航空機事故」

この章はいくつかの航空機事故,スペースシャトルの事故を取り上げて,その中でいかに自己欺瞞が現れているかというケーススタディが行われていて迫力がある.航空機事故の場合にはパイロットの状況把握の遅れに自己欺瞞を大きく効いている様子がよくわかる.

スペースシャトルの2つの事故については,チャレンジャーとコロンビアの事故はほとんど同じであり,これは組織存続のための宣伝(つまり他者の操作)に努めていたNASAの対応が安全性について自己欺瞞に満ちていたためだという指摘がなされている.また9.11の最大の原因は航空会社のセキュリティの穴であり,それはコスト削減するための規制逃れのロビイイングを通じて航空会社のマネジメントが自己欺瞞に陥ったためだという主張がされている.トリヴァースは要するにNASAも航空会社も他人を騙そうとした結果自己欺瞞に陥ったのだと手厳しい.

「虚偽の歴史記述」

様々な出来事の歴史において当事者の各国間で全く異なった記述がなされていることがしばしばある.トリヴァースはこれは当初は意識的な捏造であったとしても全体としては自己欺瞞に陥った結果と考えた方がよい場合が多いのだという議論をしている.要するに(記述する歴史家を含め)多くの人は記述に虚偽が混じっていることに気づかずに自国の正当性を確信するのだ.

ここではアメリカ軍の朝鮮戦争,ベトナム戦争時の振る舞いや,アメリカインディアンの抹殺の他,日本の従軍慰安婦問題,トルコによるアルメニア人のジェノサイド,イスラエルのパレスティナ抑圧も例としてあげられている.

トリヴァースはアメリカの歴史教科書がいかに自国の栄光を讃える基調になっているかを批判し,日本の対応についてもドイツのそれと異なって国際関係を不必要に難しくしており稚拙であるとコメントしている.さらにアメリカや日本はまだ一部の歴史家が批判反論しているが,トルコやイスラエルにはそれもないと手厳しい.

トリヴァースは一旦「歴史」になると集団的な自己欺瞞を誘発しやすいともコメントしている.日本人読者としてはいろいろ考えざるを得ないところだ.

「戦争と自己欺瞞」

トリヴァースは,戦争が狩猟採集民のグループ同士で行われるうちは,自己欺瞞が生じると生じた本人にデメリットが負荷されるので,戦争における自己欺瞞はあまり生じなかっただろうとしている.しかし農業以降は自己欺瞞を生じる人と戦争で死ぬ人は別になる.ここで自己欺瞞が花開くのだ.

戦争開始決断場面においては部下や国民を説明,操作する必要(自国の立場は正当だ,勝てる)があるし,戦争中は相手との駆け引きで騙し,操作する必要(ありとあらゆる駆け引きがあるが基本は自軍が優勢と思わせるのが有利になる)が生じるのだ.だから戦争と自己欺瞞は深く結びつく.


トリヴァースは特に相手を弱いと見くびる自己欺瞞が危険だとコメントし,様々な例をあげている.またここでは2003年のイラク侵攻におけるブッシュ政権の自己欺瞞も厳しく批判している.いかにも反体制のトリヴァースらしいところだ.

ちょっと面白いのは,「効果のない軍事技術・戦術への奇妙な固執」だ.例としては重騎士や戦略空爆が挙げられている.ここでは何故そのような自己欺瞞が生じるかの詳細は説明されていないが,内部的に様々な騙しや操作の動機(これまでそれにかけてきた費用の正当化など)があるのだろう.

「宗教と自己欺瞞」

トリヴァースは最初に,「宗教は『真実』と『自己欺瞞』の中間にあるのだろう」と述べている.トリヴァースにしてはマイルドな気もするところだ(もっともアメリカではこれでも十分過激なのかもしれないが).これは,宗教はグループ内の協力を進め(グループ外に加害し),イングループテンプレートとして機能する片方で,自己欺瞞により合理的思考の制限を取り払っているという意味だ.

協力の推進については宗教的コミューンの方がイングループの協力が高いというリサーチが引かれ,自己欺瞞については様々なナンセンスの例をあげている.このあたりはアトラン,デネット,ドーキンスらと比べてあまり深い記述にはなっていない.

宗教の周辺部分では,宗教は健康に良いか(良いかもしれない理由がいくつかある),感染負荷と宗教の分岐(宗教の多様性と感染負荷はマップ上で重なる.感染負荷はよそ者嫌いを有利にする可能性がある.セクトに分岐すればするほど自己欺瞞が強化されるだろう),カトリックの聖職者の独身主義(説明は難しい),有力な宗教ほど腐敗する傾向があるか(全ての権力と同じで否定できない),宗教と配偶システム(信者同士の結婚を奨励する宗教が多い.そういう宗教では信者グループの血縁度が高まるだろう.他宗教からの流入については宗派により様々なようだ.これはグループ内の外婚への傾向の進化に影響を与えるだろう)などが扱われている.いずれもそれほど深くは論じられていない.

「自己欺瞞と社会科学」

ここは強烈だ.要するに,まず客観的なデータによるチェックがなければ,知識体系はそれを扱う人に都合良く変形され,自己欺瞞が増幅される.またヒトの社会にかかる言説は,多くの人の利害に影響を与えるので騙し・操作・自己欺瞞を産みやすい.さらに(正義は事実と相容れないことがあるので)モラルは理論や知識の発展を阻害するのだ.

これによりヒトの社会に関係し,追試や検証を経ない学問体系は歪むというのがトリヴァースの論点だ.そして「種のために進化する」という学説,経済学(効用関数を実証しようとしない,心理学・生物学とリンクしようとしない,ある政策の結果から理論の評価を行わない),文化人類学(戦後の悲劇的な左旋回の結果,社会生物学を否定する自己欺瞞のかたまりになった),心理学(生物学の重要性を否定した,社会心理学は未だにナイーブにセルフレポートを使う),精神分析(典型的なニセ科学)が次々とやり玉に挙げられている.このあたりはあちらでも結構議論を巻き起こしているようで,読んでいると勇み足の部分もないわけではない.特に経済学や社会心理学に対する批判はかなり一面的で全面的には賛成できない� ��ころだ.しかし結構痛いところを突いているのも確かのように思われる.

トリヴァースは「進化生物学も社会科学も特にヒトの社会に関する分野は自己欺瞞に毒されるリスクが高く,『生命はより高いレベルの機能のために進化する』というのがよく見られる自己欺瞞のパターンだ」とコメントしている.

「トリヴァースの自己欺瞞」

最後は懺悔のような章が置かれている.トリヴァース自身,誰かを侮辱したいと思ったときに過去何度も後悔したにもかかわらず「今度は違う」と考えてしまうこと,学問的には「自分は真実を追究し,自己欺瞞を深く考えてきたので,自己欺瞞に対してより心を鋭くしているだろう」と考えてしまうことなどを告白している.

そして何故自分は自己欺瞞と戦うことを是とするのか,何故自己欺瞞の結果は多くの場合「最初にちょっと勝って後で大負け」の形になるのか(自己欺瞞の訂正は難しいのでこうなりがち),自己欺瞞に陥りつつあるシグナル(トリヴァースの場合は注意力散漫),補正の方法,いくつかの実践的なアドバイス(ファンタジーの危険,祈りや瞑想の効果,友達やカウンセラーの価値,見せびらかしたい と感じる時は特に危険など),現在見られる大きな自己欺瞞の例(アメリカの政治,ネズミ講,名誉の殺人,日本の原発の安全施策,企業の四半期報告,心理学実験室)が書かれている.


本書はトリヴァースでなければ書けない興味深く過激な内容を多く含み,トリヴァースの本にしては珍しくすっきりとした解のない本になっている.これは理論的には本書の主題である「自己欺瞞」が,相互に相手を操作しようとするアームレースの産物であり,複雑系であるからということだろう.そして後半部分の主要なメッセージは「人間世界は自己欺瞞で満ちているのだ.そしてそれを(自己欺瞞的に見ない振りするのではなく)真正面から捉えない限り,世界は馬鹿者どもの愚行による悲劇を減らすことはできないのだ.刮目せよ」というものだ.これは「自己欺瞞」が大きな悲劇を生みだし続けていることに対してのトリヴァースの怒りが吹き出した本でもあるということなのだろう.

本書は「自己欺瞞」の理解を深めるという趣旨で読むと,全体としては議論の流れがうねっていてすっきり解決していないところも多く,読みにくい部分もある.しかし個別の論点は興味深いものが多く,歯に衣着せぬその記述は書きすぎの部分も含めて読んでいて痛快だ.

また3.11の悲劇,そしてその後の壮大なドタバタを見てきて,またこの夏に関西で節電焦熱地獄を味わうことになる日本人読者にとって,本書は無関心ではいられない書物でもあるだろう.私としては今後の日本のエネルギー政策が自己欺瞞の産物にならないことを切に願うところだ.

関連書籍

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