秦始皇兵馬俑博物館
これは秦始皇兵馬俑博物館の入り口ゲートの上の表示です。この下で入場券を見せます。チケットの値段は90元(約1350円)とかなりの高額。この下でもたくさんの中国人観光客が列をなして記念写真を撮っています。 兵馬俑坑に行くには、この門をくぐってから左方向にまだ1キロほど歩かなければなりません。右方向へ進めば、別料金を支払って車に乗って行けるようです。 巨大な博物館の敷地内では、1号坑、2号坑、3号坑と文物陳列館を見学できます。順に見ていきましょう! |
1号坑に約6000体の兵馬俑
使用される科学的なプローブは何ですか?
兵馬俑坑は始皇帝陵の東1.5キロのところで、1974年に偶然発見されました。始皇帝を守る兵馬の姿を地下で再現したものです。兵馬俑の破片が初めて発見された場所は、この写真には写ってませんが、画面左側のさらに左隅です。この後の写真で紹介します。 兵馬俑坑は中国で最大の陪葬坑です。陪葬は副葬ともいい、墓主へ供えるものを埋葬することです。俑(よう)とは、墓に副葬する人形のことです。 兵馬俑坑のなかでも、1号坑は最大の坑で、兵士や馬の人形(兵馬俑)の数は6000体以上あるとされています。 |
一人ひとり顔の表情が違う兵馬俑
等身大で人の表情もそれぞれ違っています。兵馬俑坑の建設は始皇帝による中国統一(紀元前221年)から死ぬ(紀元前210年)までの約10年間だと推定されています。始皇帝の近辺を守る近衛兵の軍団をそのまま地下に造ったのです。死後も彼らに守られ続けることを夢見たのかもしれません。 これらの兵馬俑は2200年の眠りの後、農民の井戸掘り作業の途中で偶然発見されました。ひとりの農民が兵馬俑の破片を掘り当てたのは、1974年3月29日のことです。これより継続的に発掘調査がなされ、現在でも修復作業は行われているようです。 |
1974年、兵馬俑のかけらはここで発見された
確率を計算するために使用される変数は何ですか
1号坑に入場して左隅隅にあります。一人の農民が井戸掘りの際に見つけた兵馬俑のかけらから、20世紀最大級の考古学上の発見になりました。 1978年9月にここを訪れたフランスの元大統領シラク氏(当時、パリ市長)の次の発言が有名です。 シラク・パリ市長(後の大統領)のリップサービスの一面もあるとは思いますが、確かに幸運な奇跡の発見だったと思います。農民の井戸掘りのおかげで、今やこの地は中国一の大観光地になっています。 |
修復を待つ兵馬俑
1号坑の前半分は修復済みの兵馬俑が坑に展示されています。後ろの方ではこれから修復を待っている兵馬俑が並べられています。 兵馬俑坑は以前は写真撮影が禁止されていたようですが、現在はどこを撮ってもOKです。これから何年後かに訪れる人は、修復もさらに進み、また違った様子で見られるかもしれません。 |
兵馬俑の破片はまだ地中に埋もれている
なぜ南極条約では、設定された
未整備の兵馬俑もたくさんあります。いつになったら復元されるのでしょうか?それとも、このまま置いておくのでしょうかね? |
2号坑 通路の展示品
2号坑もやはり大きなドームで覆われています。その中央部分には兵馬俑の残骸やむき出しの地盤が見られますが、兵馬俑の集団がいないので、1号坑に比べれば少し物足りない感じもします。 2号坑はむしろ通路に注目です。完璧な兵馬俑がガラスケースに入れられ、展示されています。ただ、ここも大人気のため、どうしても多くの人物が写り込んでしまいます。 |
3号坑
3号坑は一番小さな坑です。しかし、ここが軍団全体の司令部だと考えられています。1号坑、2号坑、3号坑、合わせて8000体以上の兵馬俑があると言われています。 |
文物陳列庁の銅車馬
文物陳列庁では兵馬俑発見の経緯や歴史的背景が説明されています。なかでも目を引くのは銅車馬です。銅車馬は始皇帝が全国を巡行した馬車を模したものとされています。 |
なんか変な感じ?
文物陳列庁を入ったところにあるのですが、何を表したいのか意味不明です。巨大な兵士俑と少女の像が並んでいます。何だか、兵士と少女が首を吊っているような感じで(笑)、少し違和感を覚えましたが・・・。でも、人気スポットになってるのでしょう。大勢の人々が記念写真を撮っています。 最後に少し笑えたところで退場しましょう。 (参考URL)秦始皇兵馬俑博物館公式サイト |
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