2012年5月9日水曜日

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松岡大臣の自殺と、安倍政権の責任

 松岡利勝農水相の自殺について、鈴木宗雄衆議院議員が注目すべき発言をしている。松岡氏が自殺する4日前の24日夜、鈴木氏は松岡氏と会食をしていたという。鈴木氏がインターネット上で公開している日記によると。会食の席で2人の間に、次のようなやりとりがあったという。 ムネオ日記(5/28付) その時私は松岡大臣に「明日決算行政監視委員会で私が質問するから、国民に心からのお詫びをしたらどうか。法律にのっとっている、法律に基づいてきちんとやっていますと説明しても、国民は理解していない。ここは国民に土下座し、説明責任が果たされていませんでしたと率直に謝った方がいい」と進言したら、力無く「鈴木先生、有難いお話ですが今は黙っていた方がいいと国対からの、上からの指示なのです。それに従うしかないんです」と、弱気な言いぶりだった。私はなお、「これからも何かにつけこの話は続くので、早く国民に正直に説明した方が良いと思うよ」と重ねて話すと、「そこまで言ってくれるのは鈴木先生だけです」と、にっこり微笑んでくれた事を想い出す。  こうした「国対からの、上からの指示」があったかどうかについて、自民党側は「国対に確認したが、そういう事実は一切ない」(中川幹事長)などと懸命に否定しているが、朝日新聞によると松岡氏は自殺する2日前の26日、地元の荒木元県議会議長に対して「私も荒木先生のようにスパッと辞められたらなあ」とこぼしたという。またTBSの報道によると、最近では親族らに「大臣をいつ辞めたらいいだろうか」と漏らすこともあったという。こうしたことから考えると、松岡氏は鈴木氏の日記にある通り、「上からの指示」によって、疑惑について説明したくとも黙っているしかなく、大臣を辞めたくとも辞められないような立場に追い込まれていたのだろう。そのことが自殺の理由だったのかどうかは、今となっては不明である。し� ��し少なくとも理由の一つであったことだけは、これらの証言が浮き彫りにしている。  自分たちの権力を維持するために、「上からの指示」で松岡氏の逃げ道を閉ざした安倍政権の責任は重い。 追伸: 松岡大臣の自殺の報を受けて、石原慎太郎都知事は「死をもってつぐなった。彼もやはりサムライだった」とコメントしたという。なんと感傷的で、トンチンカンなコメントなのだろうか。...

Posted in 私的スクラップ帳 on 2007年05月30日 09:41

水俣病:これほどの不正義が許されていいのか

<水俣病認定基準>首相「見直さず」 就任後初の明言(3/8 毎日新聞) 安倍晋三首相は7日、水俣病の認定基準見直しに関し「考えていない」と、首相就任後初めて、見直さない方針を明らかにした。環境省もこれまで同様の見解を示している。内閣記者会とのインタビューで答えた。首相は「水俣病は公害問題、日本の環境問題の原点」との認識を示しながらも「基準見直しは考えてない」と述べた。 首相インタビュー要旨 内閣記者会(3/7 中国新聞) 水俣病の認定基準見直しは、最高裁判決の上に立って考えれば、今の段階では考えていない。被害者の気持ちをくみ取りながら、自民党とよく相談していきたい。  ニュースではあまり大きく報じられていないが、これは信じられないような発言だ。これほどの不正義がまかり通ってもいいのか。  この安倍氏の発言がどれほど欺瞞に満ちた発言なのか。そのことは、水俣病認定基準をめぐるこれまでの経緯を見ると、くっきりと浮き彫りとなる。 * * *  水俣病の認定審査は、1977年7月1日付けで環境庁環境保健部長が通知した「後天性水俣病の判断条件」に基づき行われてきた。この基準は、視野狭窄、知覚障害、運動失調、言語障害、聴力障害のすべての症状が揃った、いわゆるハンター=ラッセル症候群のみを水俣病と認めるという、非常に狭く限定したものだった(「水俣病」原田正純著/岩波新書)。  これに対して2004年10月、こうした国の認定基準の妥当性が正面から問われた裁判(水俣病関西訴訟)の最高裁判決が下された。判決では、きわめて限定的な国の判定基準ではなく、「一定の条件があれば感覚障害だけで(水俣病と)認められる」とする判断を示した。  この最高裁判決は、これまで何十年もの間、国からも被告企業からも見捨てられてきた多くの水俣病被害者たちにとっては、ようやく掴んだ希望だった。ところが国は、この最高裁判決が出た後でもなお、ハンター=ラッセル症候群を水俣病とする認定基準を変えなかった。最高裁判決の直後、滝沢秀次郎・環境保健部長は会見で「国の認定判断基準と(判決が認めた)有機水銀による健康被害は、行政と司法とで考え方が異なる。判決が認定基準に波及するとは考えていない」と述べ、さらに柴垣泰介・企画課長に至っては、記者から「ダブルスタンダードを続けていくのか」と質問されて「今のところ、そう考えている」「医学的観点から矛盾はない」と平然と言い放った(肩書きはいずれも当時)。このため最高裁判決以降、国の� ��定基準と最高裁判決の認定基準という2つの基準が存在する、異常事態となったのである。これにより、何をもって水俣病と認定すべきかが明確でなくなったために認定審査会がストップし、認定を求めて申請を行った被害者が放置されるという事態になったのである。 * * *  水俣病が確認されたのは、1950年代から60年代にかけてのことである。それから何十年もの間、認定を求めつづけてきた被害者は高齢化している。一刻も早い救済策が求められているのだ。  安倍氏は、最高裁の判決を公然と無視しておきながら「水俣病の認定基準見直しは、最高裁判決の上に立って考えれば、今の段階では考えていない」などと、よく平然と口にできるものである。早期の救済策が求められている現実を知りながら、よくも「被害者の気持ちをくみ取りながら、自民党とよく相談していきたい」などと言えるものである。 【過去の関連記事】 水俣病訴訟:ダブルスタンダードを改めない国の怠慢(2005.10.6)...

Posted in 私的スクラップ帳 on 2007年03月08日 22:06

メモ:最近の気になる記事より

【1】 会食費を事務所費に計上、伊吹氏が認める(1/11 朝日新聞)  費用のかからない議員会館内の事務室を「主たる事務所」と届け出ておきながら、政治資金収支報告書に4000万円以上の「事務所費」を記載していた伊吹文部科学相。昨日の記者会見では、飲食費なども「事務所費」の一部として処理していたことを明らかにした。ところが、どうやら彼はこうした不明朗な会計処理をしていたことを恥じる様子は全くないらしく、会見では「経理処理するさいの科目を間違えたに過ぎない」「別にやましいことがあるとは思いませんから、そういう(自身の出処進退を考える)気持ちはありません」などと話し、10分程度で会見を終えたという。  伊吹文明氏は教育基本法改正について、自身のウェブサイト上でこんなことを語っている。 どんな日本国と日本人を目指すのか(教育基本法成立)(2006.12.20付 いぶき文明公式ウェブサイトより)  祖先が積み上げた伝統と文化のなかから、社会には暗黙のルールが存在します。護るべき権利や自由には、義務と規律が伴うことを知り、公共の精神を身につけた日本人を取り戻すことです。  思えば、教育基本法改正の過程では、内閣府や文科省によってタウンミーティングでの「やらせ質問」が繰り返し行われ、世論を偽装しながら進められていた。そして今回の、教育行政のトップに立つはずの文部科学相による不明朗な会計処理と、開き直りとしか言いようのない厚顔な釈明会見。  昨年の教育基本法改正は、こんな連中によって進められていたのかと思うと、暗澹とした気持ちになる。  ちなみに読売新聞の記事によると、こうした不透明な「事務所費」を政治資金収支報告書に記載していたのは、伊吹氏を含め「少なくとも6人」いるという。 有力議員ら不透明事務所費、タダの議員会館で7千万も(1/11 読売新聞)  伊吹文明・文部科学相や松岡利勝・農相ら少なくとも6人の有力議員の資金管理団体が、家賃のかからない議員会館内の事務室を「主たる事務所」と届け出ていたのに、政治資金収支報告書には年1000万円程度から7000万円もの「事務所費」を支出したと記載していたことが分かった。 (中略)  多額の務所費の支出が判明したのは、伊吹文科相の「明風会」、松岡農相の「松岡利勝新世紀政経懇話会」、中川昭一・自民党政調会長の「昭友会」、遠藤利明・文科副大臣の「新風会」、衛藤征士郎・元防衛長官の「新21世紀政治経済研究所」、松本剛明・民主党政調会長の「松本たけあき後援会」 【過去の関連記事】 メモ:最近の気になる記事より(2006.11.23) 教育基本法:目的のためには不正な手段も使うのか(2006.11.18) 教育問題:Japan Times紙の鋭い社説(2006.6.7) 教育基本法改正:問題解決の手段として無意味な与党案(2006.5.21) 教育基本法:これで公正な手続きといえるのか(2006.12.16) 【2】 残業代ゼロ 首相「少子化対策にも必要」(1/5 朝日新聞)  「正月早々、悪い冗談でしょ?」と、つい思ってしまったのがこの記事。一定条件下で会社員の残業代をゼロにする、いわゆるホワイトカラー・エグゼンプション制度について、安倍首相はこの制度は労働時間短縮につながり「例えば少子化(対策)にとっても必要」だと考えているらしい。  ただ単に、世間知らずなだけなのか。それとも制度の導入に向けてレトリックを弄しているだけなのか。  いずれにしても首相としての資質を疑ってしまうような発言である。 【過去の関連記事】 ブッシュ大統領と安倍総理:気がかりな共通点(2006.11.10) 安倍新総理の軽薄な歴史認識(2006.10.6) 北朝鮮ミサイル問題:軽率な「敵地攻撃論」と安倍氏の詭弁(2006.7.21) 安倍官房長官:ライブドア事件は「教育が悪いからだ」(2006.2.18) 世論調査:次期首相として3人に1人が安倍氏支持(2005.6.21) 安倍氏が次期総理大臣にふさわしくない3つの理由(2005.3.10) NHK番組改変問題:安倍氏のダブルスタンダード(2005.1.19) 痛ましい事件を政治利用する自民党(2004.6.3) 【3】 <仏首相>「居住権」法案提出へ ホームレスに住まい提供(1/4...

Posted in 私的スクラップ帳 on 2007年01月11日 09:08

教育基本法:目的のためには不正な手段も使うのか

 教育基本法改正案が15日に衆院特別委員会を通過し、16日に衆院で可決された。いずれも与党単独での強行採決だった。時事通信の記事によると、参院での審議も与党単独で進める方針だという。  教育基本法改正は、安倍総理にとって「最重要課題」とされている。しかし安倍総理をはじめ、教育基本法改正を推し進めている官僚や与党政治家たちには、「恥を知れ」と言いたい。  既に明らかになっているように、教育基本法改正についてのタウンミーティングでは、内閣府や文科省によって、基本法改正の立場から「やらせ質問」が行われていた(関連記事)。こうした「やらせ質問」は、教育基本法改正がテーマになった8回のタウンミーティングのうち、実に5回で実施されていた(関連記事)。また、これらのケースも含まれているのかどうかは不明だが、タウンミーティングで「やらせ質問」をしてもらった65人に、謝礼金が支払われていたことも明らかになっている。謝礼金の出どころは、もちろん私たちの税金からである(関連記事)。中にはなんと、聴衆の半分以上が市民を装ったサクラ、"会場からの質問"もサクラというタウンミーティングもあったというから呆れてしまう(関連記事)。  こうしたタウンミーティングでの「やらせ質問」や「サクラ」の問題について、教育基本法改正案が衆院を通過する前、安倍総理は次のように語っている。 やらせ質問「教育基本法とは別問題」首相(11/11 朝日新聞) 安倍首相は10日夜、政府主催の教育改革タウンミーティング(TM)で「やらせ質問」があったことに関連し、「教育基本法の問題と、このタウンミーティングの問題は別の問題だ。教育改革を進めていく上においても、速やかにこの教育基本法の成立を図りたいと思う」と述べた。 (中略)  また、自民党の二階俊博国会対策委員長も同夜の那覇市での講演で「教育基本法を60年ぶりに改正しようとしている。(それに比べ)タウンミーティングでやらせがあったなんて、やる方もやる方だが、誠につまらん」と指摘。「いつまでも慎重審議に引きずられていては、政治の生産性が上がらない」と、首相と同様の考えを示した。  教育基本法改正が、「やらせ」や「サクラ」といった姑息な手段で、民意を"偽造"して進められていたことが明らかになったにもかかわらず「別の問題だ」などと、よくも恥ずかしげもなく言えるものである。  安倍氏をはじめ教育基本法改正を進める与党議員たちは、現在の基本法が占領軍によって作られたことを、改正の大きな理由として挙げている。しかし、もし今回の改正案がこのまま参院を通過して教育基本法が改正されれば、新しい基本法は「国民の意見を当時の政府が偽造して作った」という暗い影がつきまとうことだろう。  もし仮に、このまま教育基本法が改正されたとしても、将来の子供たちには「目的のためには不正な手段も使う」という、今回基本法の改正を推し進めた姑息な人々のようにはなってほしくないものである。...

Posted in 私的スクラップ帳 on 2006年11月18日 06:48

北朝鮮ミサイル問題:軽率な「敵地攻撃論」と安倍氏の詭弁

 北朝鮮によるミサイル発射後、7月9日から10日にかけて政府幹部から、場合によっては北朝鮮のミサイル発射基地を攻撃することを検討する必要があるという、いわゆる「敵地攻撃論」が相次いだ。7/10付の毎日新聞記事をはじめ新聞各紙の報道から、主な発言を拾ってみる。 ●額賀防衛庁長官 「敵国が確実に日本を狙ってピストルの引き金に手をかけたようなときは、(攻撃の)判断が許されると解釈される」 「国民を守るために限定的な(敵地攻撃)能力を持つのは当然」 ●麻生外務大臣 「被害を受けるまで何もしないわけにはいかない」 ●安倍官房長官 「国民と国家を守るために何をすべきかという観点から常に検討、研究は必要」 ●武部自民党幹事長 「(検討・研究に)積極的に取り組む必要がある」  自分の社会的立場をわきまえない人が、国のトップにこれだけ揃っているという事実に、唖然とするほかない。これらの発言は、ミサイル問題の解決にとって何ら資するところがないだけでなく、むしろいたずらに対立を煽りかねない、無責任極まりない発言である。彼らは、おなじ発言でもただの一議員が発言するのと、彼らのような立場の人が発言するのとでは、言葉の重みが変わってくるということが分からないのだろうか?彼らの軽率で無責任な発言が、海外からは下記の記事のように受け止められたのも当然である。 Japan mulls legality of N. Korea strike(「日本、北朝鮮攻撃の合法性を検討」 7/10 AP通信) Japan looks at military options on N. Korea(「日本、北朝鮮への軍事的な選択肢を検討」 7/10 International Herald Tribune紙)  自分たちの軽率な発言が、海外からはこのように受けとられるとは予想していなかったのだろうか、12日になると安倍官房長官は記者会見で、韓国政府の反応に反論するという形で「誰も先制攻撃とは言ってない」と強く否定してみせた。 敵基地攻撃論 安倍長官「誰も先制攻撃とは言ってない」(7/13 毎日新聞)  安倍晋三官房長官は12日の記者会見で、北朝鮮のミサイル発射を受け政府内に出ている敵基地攻撃論に対する韓国の反発について「先制攻撃論に立って議論しているかのような批判があるが、まったく当たっていない。誰も先制攻撃とは言っていないのに、あたかも発言したかのごとく批判されることには戸惑いを感じる」と反論した。 「先制でない」と反論 安倍氏、敵基地攻撃能力で(7/12 共同通信)  安倍晋三官房長官は12日午後の記者会見で、北朝鮮のミサイル発射を受けた敵基地攻撃能力保有の検討に対し、韓国などが反発していることについて「先制攻撃論に立って議論しているかのような批判があるが全く当たらない。何もない空中を棒でたたいているような感じを受ける」と強く反論した。  あきれるほどの詭弁である(それにしても堂々とした態度で詭弁を弄する安倍氏のこの能力は、あいかわらず見事である[関連記事])。たしかに「先制攻撃」という言葉そのものは誰も使っていないのかもしれない。しかしもう一度、額賀防衛庁長官や麻生外相の発言をじっくりと読んでみてほしい。「確実に日本を狙ってピストルの引き金に手をかけたようなときは(攻撃の)判断が許される」「被害を受けるまで何もしないわけにはいかない」。これらは明らかに、ある条件のもとでは...

Posted in 私的スクラップ帳 on 2006年07月21日 23:23

日本の刑務所:米兵受刑者にはVIP待遇、一般受刑者には国際基準以下

 日銀総裁の投資問題や北朝鮮によるミサイル問題、さらにはワールドカップなどの大ニュースにまぎれる形で、小さな記事が目にとまった。ほとんど誰にも知られることなく過ぎ去ってしまいそうな記事だが、ここで取りあげられている政府答弁書の内容がもし事実だとすれば、大変な問題である。 米兵受刑者は毎日シャワー、デザートと優遇 政府答弁書(6/17 朝日新聞)  米軍関連の受刑者は刑務所内で毎日シャワーを浴び、食事に肉類やデザートが出る回数も日本人受刑者より多い――政府が16日に閣議決定した答弁書で、米軍への特別扱いの実態がわかった。 (中略)  一般の受刑者が入浴できるのは、夏は週3回、それ以外は週2回。だが、米軍関係者は、土日を含めて毎日シャワーを使用させている。  食事も、米軍から定期的に肉などが「補充食料」として現物支給。デザートは、アップルパイやチェリーケーキなどで、コーヒーや牛乳は毎日支給される。軍に属さない米国人には適用されない。  まず何よりも問題なのは、こうした受刑者に対する待遇の差は、「法の下の平等」という法治国家にとっての基本原則に反するということだ。確かに、文化や習慣の異なる外国人受刑者に対して一定の配慮が必要なのは事実である(イスラム教徒の受刑者には豚肉を出さない、など)。しかし、記事にあるような米軍関係の受刑者に対する待遇は「一定の配慮」を明らかに逸脱しており、法の下の平等を逸脱する、「特別扱い」である。  そのことは、これら米軍関係の受刑者に対する特別待遇が「軍に属さない米国人には適用されない」ということからも明らかである。この特別待遇は、1953年の「日米両国間の言語及び習慣の相違に適当な考慮を払う」という日米合意がもとになっているが、もし日本という国が本当に「日米両国間の言語及び習慣の相違に適当な考慮を払う」つもりなら、なぜ米軍関係者に許されている待遇が一般の米国人には適用されないのだろうか。やっていることが支離滅裂である(あるいは日本政府は、法の下の平等よりもアメリカ軍を大切にします、という思想で一貫しているということなのだろうか?)。  そしてもう一つの問題は、この記事でその一端が触れられている、一般受刑者への処遇である。米軍関係以外の一般受刑者が入浴できるのが「夏は週3回、それ以外は週2回」というのは、これで果たして基本的人権を尊重する国と言えるのだろうか。この件を報じる琉球新報の記事のなかで明治大教授の菊田幸一氏が、こうした日本の受刑者処遇は国連基準より下であり、処遇改善が必要だとコメントしているが、同感である。...

Posted in 私的スクラップ帳 on 2006年06月20日 22:28


ロンメルは、ルーティングされた場所

教育基本法改正:問題解決の手段として無意味な与党案

 どのような社会問題でもそれを解決するためには、少なくともまず問題の所在を明らかにし、次に何がその問題の原因となっているのかを調査・分析し、その情報をもとに有効な手段を検討するという段階を踏む必要がある。調査・分析がいいかげんだったり、あるいは調査・分析結果とは無関係に、手段の検討が自己目的化してしまったりしては、いかに議論に時間をかけたとしても、できあがった「問題解決のための手段」なるものは実際の問題解決にとって殆ど役に立たない。教育基本法改正についての国会審議が5/16からはじまったが、はたして与党の改正案は、問題解決の手段として意味のあるものだろうか。いろいろな資料を見る限り、かなり怪しいと言わざるを得ない。  この議論の始まりをふりかえってみたい。そもそも教育基本法を改正することで解決したい「問題」とは何だったのだろうか?次期首相候補として有望視されている自民党幹事長・安倍晋三氏は、長崎県で起きた小学校6年生の女児殺傷事件の直後に「大変残念な事件があった。大切なのは教育だ。子供たちに命の大切さを教え、私たちが生まれたこの国、この郷土のすばらしさを教えてゆくことが大切だ」として教育基本法改正の必要性を訴えた(関連記事:痛ましい事件を政治利用する自民党(2004.6.3))。また最近では、文部科学大臣の小坂憲次氏が、5/18配信の小泉内閣メールマガジンのなかで「教育基本法から始まる良い教育を目指して」と題して、教育基本法改正の目的について次のように述べている。 教育基本法から始まるより良い教育を目指して(小泉内閣メールマガジン 第234号)  現在の教育基本法は、昭和22年に制定され、約60年経過しました。その間、教育水準が向上し、生活が豊かになる一方で、都市化や少子高齢化の進展などによって、教育を取り巻く環境は、当時とは大きく変わりました。  また、近年、子どものモラルや学ぶ意欲の低下、家庭や地域の教育力の低下などが指摘されており、若者の雇用問題の深刻化など、教育について様々な課題が生じています。このため、教育の根本にさかのぼった改革が求められています。  つまり教育基本法改正により解決を目指す「問題」(少なくとも「主要な問題」)として、子供たちのモラルの低下や、少年犯罪が想定されているようである。  それではこれらの「問題」を解決するため、与党の教育基本法改正案安には何が盛り込まれたのだろうか。よく知られているように、与党改正案では「我が国と郷土を愛する態度を養う」ことが目的として盛り込まれている。先の安倍氏の発言によると「この国、この郷土のすばらしさを教えてゆくこと」により少年犯罪が低下すると予想しているようである。もしこの予想が正しければ、今回の教育基本法改正は、問題解決の手段として適切であると言える。  しかし、果たしてそうだろうか。1985年(文部省が各都道府県・政令指定都市の教育長に通達)から1999年(国旗及び国歌に関する法律)にかけて、卒業式での国旗掲揚・国歌斉唱の実施率はほぼ100%を達成した。これにより、改正案にある「我が国と郷土を愛する態度を養う」という側面が一歩進められたことになる。ところが少年犯罪率が1985年から1999年にかけて改善されたという事実はない。この時点で安倍氏のロジック(=子供たちの愛国心と犯罪傾向との間には相関がある)は破綻しており、また与党の教育基本法改正案も問題解決の手段として無意味であると言える(そもそも、日本より国を愛する意識の高いアメリカでは、少年犯罪率は日本と比較にならないほど高い!)。  今回の教育基本法改正は、問題解決の手段として、はたしてどれほどの意味があるのだろうか。与党(特に自民党)を見るかぎり、愛国心を盛り込むことそれ自体が自己目的化しているのではないだろうか。子供たち(まだ生まれていない将来の子供たちも含め)が選挙権を持たないことをいいことに教育問題を政争の具にするような政治家や、理性的な調査・分析でなく「床屋の政談」レベルな印象論(「少年問題は戦後教育のせいだ」など)だけで教育を語る政治家に、「我が国と郷土を愛する態度を養う」云々など、口にする資格はないのではないだろうか。 【関連ページ】 現行教育基本法と「教育基本法改正案」の比較0604版 --- トラックバックさせて頂きました --- 教育基本法改正案について by はぎわら_m の部屋 『明治デモクラシー』−民主主義こそ日本の伝統 by Cityscape Blog...

Posted in 私的スクラップ帳 on 2006年05月21日 09:01

米軍再編:日本負担は総額3兆円?

 さまざまな環境問題について、6年の歳月をかけて19ヶ国を取材した渾身のルポルタージュ、「世界の環境危機地帯を往く」(マーク・ハーツガード著/草思社)という本を最近読んだ。この本のなかに、無計画な伐採により危機に瀕している南米アマゾンの熱帯雨林の3分の2を保護するために必要な資金は、約30億ドルだという記述があった。  在日米軍再編全体にかかる日本側の負担総額が、「控えめな試算」でも約260億ドル(約3兆円)にのぼると、25日、アメリカのローレス国防副次官が発言した。このうち約60億ドル(約7千億円)が沖縄海兵隊のグアム移転経費である。  こんな数字が出てきているにもかかわらず、政府からも市民からもあまり反対らしい反対の声があがらないのが不思議なくらいだが、3兆円というのは途方もない金額である。どれくらい巨額か。国の歳出と比較してみるとよく分かる。たとえば政府案のとおり決定した平成18年度社会保障関係予算(PDFファイル/財務省ウェブページより)と比較してみると、3兆円というのは ・生活保護のための予算の約1.5年分 ・少子化対策(待機児童ゼロ作戦や児童手当等の合計)予算の約5年分 ・若年者雇用対策のための予算の約85年分 である。しかもローレス発言によれば、この金額ですら「控えめな試算」だというのである。はたしてそれだけの価値があるのだろうか? そして何より、これほど巨額の税金で米軍再編の費用を負担する必要がそもそもあるのだろうか?非常に疑問である(ちなみに、若年者雇用対策用予算の約6年分が、何ら支払う義務もないにもかかわらず毎年在日米軍に"思いやり予算"として支払われている。政府にとって若者の雇用問題というのは、この程度の認識なのだろうか)。  このローレス発言が出てきた直後、日本政府は唖然とさせられるような反応をしている。たとえばローレス発言が報じられた直後、共同通信は次のような記事を配信している。 3兆円負担発言に戸惑い 政府、米側と認識共有(4/26 共同通信) 政府は26日、ローレス米国防副次官が在日米軍再編に要する経費の日本負担が約3兆円に上ると明言したことで、巨額負担に国内世論が反発しかねないと戸惑いを見せている。  ただ日本の外交、防衛当局にも、米側との交渉に基づく試算で最終的にはローレス発言に近い負担をせざるを得ないとの認識はある。今後は積算根拠のより具体的な説明を求められることになりそうだ。  つまり、政府はローレス発言に戸惑いを見せたが、その内容は「これほど巨額の負担を日本がするべきなのか?」という種類の戸惑いではなく、「国内世論が反発しかねない」という戸惑いだというのである。そして、「外交、防衛当局にも(中略)最終的にはローレス発言に近い負担をせざるを得ないとの認識はある」というのである。まさしく「民は由(よ)らしむべし、知らしむべからず」そのものの発想である。  アマゾンの熱帯雨林を保護しても十分におつりが来るほどの、莫大な資金を米軍再編に投じる方針の日本政府。つい昨日、「就任以来5年」と題されたエッセーのなかで、小泉総理は次のように述べた。 世界的な関心事である地球温暖化、環境保護も大切です。就任以来、「環境保護と経済発展を両立させる」これを重要な政策課題として取り組んでまいりました  堂々とした態度で、公然とデタラメな発言ができるという彼のこの能力は、あいかわらず見事である。そして、これに限らず、イラク戦争にしても靖国問題にしても、総理大臣のデタラメな発言を指摘できないマスコミの怠慢さには、あいかわらずガッカリさせられる。 --- トラックバックさせて頂きました --- JMMより 「三兆円の意味」 by ***milou***...

Posted in 私的スクラップ帳 on 2006年04月28日 12:58

「2ちゃんねる」と「JANJAN」:日本のインターネットメディアについての気になる記事

 「Net boards venue for faceless rightists(インターネットの掲示板は、匿名の保守派のたまり場に)」という興味深い記事を、3/14付のJapan Times紙が掲載している。90年代後半から、インターネット上の掲示板に、アジア人に対する蔑視や外国人排斥などを匿名で書きつける、いわゆる「ネット右翼」が増加しているという内容である。  この記事自体もなかなか興味深いのだが、そのなかの一節を読んだとき、私は「おやっ?」と思った。それは、掲示板「2ちゃんねる」の不当な書き込みの削除について争われた裁判のことが記された部分である。  この裁判は、2ちゃんねるに投稿された匿名の書き込みによって名誉が傷つけられたと主張する原告が、2004年11月から2005年2月までの間、数回にわたって2ちゃんねる側に削除依頼を出したにもかかわらず何の対応も無かったために、2ちゃんねるを管理する西村氏に対して、当該書き込みの削除と投稿者のIPアドレス開示を求めて争われた裁判である。そして今年の1月20日、岩見沢地方裁判所は原告側の訴えを全面的に認め、2ちゃんねるの管理人西村博之氏に対して、書き込みの削除と投稿者のIPアドレス開示を命ずる判決を下した。  ところが記事によると、西村氏は裁判所の決定に従わないばかりか、連絡すら取れない状態にあるという。自分にとって都合の悪い裁判から逃げているのだろうか、記事によると西村氏は、裁判所からの出廷命令さえも無視しているという。 Net boards venue for faceless rightists (3/14 The Japan Times紙) Nishimura ignored all orders to appear in court and on Jan. 20 the judge ruled summarily in Arudou's favor, saying...

Posted in 私的スクラップ帳 on 2006年03月21日 00:00

取材源の秘匿:信じられないような地裁判断

 報道の内容について裁判で争われた際、取材源の秘匿はどこまで認められるべきか。古くて新しいこの問題について、東京地裁の藤下健裁判官は14日、驚くような決定を下した。取材源が国家公務員の場合、取材源の秘匿は認められないというのである。 国家公務員から取材、記者に証言拒絶認めず…東京地裁(3/15 読売新聞)  米国の健康食品会社が米国政府に損害賠償を求めた訴訟の嘱託尋問で、読売新聞記者が、同社の課税処分に関する取材源の証言を拒んだことの是非をめぐる裁判の決定が14日、東京地裁であった。  藤下健裁判官は「記者が得た情報が、国家公務員の守秘義務に反して得られた可能性がある場合、取材源の開示を求めるのはやむを得ない」と述べ、取材源を明かすよう命じた。記者側は、東京高裁に即時抗告する。 <読売証言拒否>取材源が公務員なら認めない 東京地裁決定(3/15 毎日新聞)  米国の健康食品会社への課税処分に関する報道を巡り、読売新聞の記者が民事裁判の証人尋問で取材源の証言を拒絶したことについて、東京地裁は14日「取材源が公務員などで、守秘義務違反で刑罰に問われることが強く疑われる場合は証言拒絶を認めない」とする決定を出した。藤下健裁判官は決定理由で「(守秘義務違反という)法令違反が疑われる取材源について証言拒絶を適法と認めることは、間接的に犯罪の隠ぺいに加担する行為」と指摘した。読売側は東京高裁に即時抗告する方針。  これは信じられないような決定である。「情報源の秘匿」というジャーナリストの職業倫理が、どのように「知る権利」や「公共の福祉」と関係しているのかという点について、あまりにも思慮を欠いた決定である。そしてまた、後述するように「情報源の秘匿」に関する過去の高等裁判所の判断からも逸脱する決定である。  この決定が、いかに「知る権利」や「公共の福祉」について思慮を欠いているかは、ウォーターゲート事件のことを考えれば明らかである。この事件を報道したワシントンポスト紙は、情報源について何十年もの間秘密を守り続けた。そしてその情報源が、実は当時のFBI副長官、マーク・フェルト氏だったことが本人の告白で明らかになったのは、つい去年のことである。もし今回東京地裁が下した基準がまかり通るようになれば、ウォーターゲート事件のような不正行為の報道は、今よりもはるかに困難なものになるだろう。もし今回東京地裁が下した基準がまかり通るようになれば、今ですら政治家をはじめ国家公務員の不正行為が後を絶たないのに、不正行為があることすら一般の人々からは分からなくなるだろう。  先にも触れたように、今回東京地裁が下した決定は、過去の高等裁判所の判断からも逸脱している。1979年8月31日、札幌高裁は取材源の秘匿が裁判で認められるかどうかを判断するうえで、2つの基準を出した。その2つとは、(1)公正な裁判を実現するうえで、裁判所の判断に必要な事実を証明するために、取材源を明かす必要があるか、(2)取材源を明らかにすることが将来の取材の自由に及ぼす影響はどの程度あるか、である。  私はこの札幌高裁の判断は妥当なものだと考える。「情報源の秘匿」というのは、確かにジャーナリストにとって大切な職業倫理だが、それが裁判で認められるかどうかは、裁判の公正さや将来の取材の自由に及ぼす影響など、「公共の福祉」とのバランスを考慮したうえで判断されるべきであると考えるからである。  これに対して、今回東京地裁が下した決定は真っ向から対立する。今回の地裁決定の要旨は中国新聞のウェブページで読むことができるが、なかでも特に次の部分を目にしたときには、これが本当に、曲りなりにも民主主義の国の裁判官の書いたものだろうかと、目を疑いたくなる思いだった。 東京地裁の決定要旨(3/14 中国新聞)  一定の地位にある者(引用者注:国家公務員など)が、その地位にあることで得た情報の漏えいが刑罰法令で禁止されているということは、その情報の開示がわが国の法秩序の中で刑事罰を課すほどの違法性の強い行為であることを意味する。取材源秘匿の実質的な根拠を、自由な情報流通に対する公衆の権利に求めたとしても、開示が禁止された情報の流通に公衆が適法な権利を有しているとは解釈できない。  記者が取材源の開示を命じられると、それ以後は同様の取材源からの協力を得ることが困難になると予想されるが、当面の場合にそのような結果が生じても、刑罰法令違反行為が行われなくなったことを意味し、法秩序の観点からはむしろ歓迎すべき事柄だろう。 つまり、国家公務員の守秘義務対象となっている情報は、その内容如何によらず、一般市民がその情報にアクセスする「適法な権利を有しているとは解釈できない」というのである。たとえその情報が、沖縄返還で交わされた密約の存在、および政府が重ねる嘘という情報であっても、酒や絵画の購入などの目的外の用途に使用されている外交機密費に関する情報であっても、である。  後段の「記者が取材源の開示を命じられると、それ以後は同様の取材源からの協力を得ることが困難になると予想されるが、当面の場合にそのような結果が生じても、刑罰法令違反行為が行われなくなったことを意味し、法秩序の観点からはむしろ歓迎すべき事柄だろう」、という部分に至っては、唖然とするほかない。この裁判官は、内部告発がされにくくなれば不正行為が温存され、結果として "法秩序の観点からはむしろ歓迎すべからざる事柄" になる可能性が高いということに、思慮が及ばないのだろうか。...

Posted in 私的スクラップ帳 on 2006年03月15日 23:07

日本で報じられなかった天皇発言

 あけましておめでとうございます。Blogを書きはじめてから、早いものでもう5年になりました。ここしばらくは仕事の関係で十分な時間のとれない日々が続くため、事実をもとに論考を深めた記事を書くことが難しくなりそうですが、せめて気になる事実の紹介だけでも継続して行こうと思っています。なにはともあれ、今年もどうぞよろしくお願いいたします。 * * *  なかなか時間がなかったので、年末にまとめて海外のニュース記事を読んでいると、「おや?」と思うような記事に目がとまった。記事のタイトルは、「天皇による歴史のレッスン(History lesson from Japan emperor) 。12月23日付でイギリスのBBCが配信したこの記事によると、天皇誕生日にあわせて行われた記者会見で、日本人は正しく過去の歴史を理解するよう努力すべきだと天皇自らが発言したという。  驚いて宮内庁ホームページを覗いてみると、そのときの記者との一問一答が掲載されていた。 天皇陛下のお誕生日に際しての記者会見の内容とこの1年のご動静(宮内庁ホームページより)  十分にお答えができるよう紙にまとめましたので,それに従ってお話したいと思います。 (中略)  日本は昭和の初めから昭和20年の終戦までほとんど平和な時がありませんでした。この過去の歴史をその後の時代とともに正しく理解しようと努めることは日本人自身にとって,また日本人が世界の人々と交わっていく上にも極めて大切なことと思います。  戦後60年に当たって過去の様々な事実が取り上げられ,人々に知られるようになりました。今後とも多くの人々の努力により過去の事実についての知識が正しく継承され,将来にいかされることを願っています。  この発言については、海外ではBBC以外でも報じられている(「天皇は歴史を理解するよう求める」(ロイター通信)、「天皇は日本人に歴史を"正しく理解"するよう求める」(AFP通信)、「歴史を忘れてはならない:中国への不安感情が拡大するなかで、天皇は日本人に注意する」(Guardian紙)など、下記リンク参照)。  それにしても、日本のメディアでこの発言が殆ど取り上げられていないのが不思議でならない。 【関連記事】 History lesson from Japan emperor (12/23付 BBC) Japan's emperor urges understanding of history (12/23付 Reuters) Emperor asks Japan to 'accurately understand' history (12/23付...

Posted in 私的スクラップ帳 on 2006年01月03日 16:57

男女平等:Time誌が伝える日本の現実

 たまたま、Time誌の8月29日号に掲載された "Women in Japan - The wasted asset(日本の女性・浪費された貴重な存在)" という記事を目にした。日本はまだまだ男性中心の社会であり、女性にとってどれほど生きにくい社会になっているのかを重層的に伝える、8ページにもわたる長大な記事である。  どれほど男性社会になっているのかは、記事に掲載された下記の統計からも一目瞭然。 7.7% of department and section managers in private companies are women. Women spend 3hrs taking care of kids each week. Men? Just 25 minutes. Full-time female employees earn just 69%...

Posted in 私的スクラップ帳 on 2005年10月25日 09:32


どのように多くの王朝の皇帝中国の間にあった?

共謀罪:いったいいつから読売新聞は政府の広報に?

 違法行為について話し合っただけで罪となる「共謀罪」を含む組織犯罪処罰法の改正案が、今国会に提出されている。この危険な法案について報じる読売新聞の記事を読んで、唖然とした。 「共謀罪」創設にまたもや黄信号、与党からも修正論(10/15 読売新聞) (共謀罪の創設を柱とする組織犯罪処罰法などの)改正案は、テロや暴力団・マフィアなどによる組織犯罪に対する国際的な協力関係を構築する「国際組織犯罪防止条約」の批准に必要な国内法を整備する法案。共謀罪は、条約の参加国に対し、批准条件として創設が義務づけられている犯罪の一つだ。  危機感のカケラもない文章である。これではまるで、政府の宣伝文句そのものではないか。読売新聞はいったいいつから、政府の「御用メディア」に成り下がったのだろう。そしてこれを書いた記者は、ジャーナリズムに携わる者としての職業倫理のカケラも持ちあわせていないのだろうか。共謀罪が法律として制定されれば、言論の自由や報道の自由といった、報道機関にとって最も大切な自由を侵食する可能性(そしてひいては民主主義社会の土台を侵食する可能性)が極めて高いというのに。  確かにこの記者の書くように、共謀罪を含む今回の法案は、「国際組織犯罪防止条約」の批准に必要な国内法整備の一環として提出されている。しかし国際組織犯罪防止条約の批准に必要なのは、文字通り国際犯罪組織、つまり複数の国にまたがって活動している犯罪組織のみを対象とした法改正であるのに対して、今国会に政府が提出している法案では、国際組織かどうかに関係なく、複数の人間が犯罪について話し合っただけで罪としているのである。「国際組織犯罪防止条約の批准に必要な国内法整備の一環」の範囲を大幅に逸脱した法改正をしようとしているのである。 * * *  「共謀罪」の危険性については、近日中にあらためてこのブログで書くことにします。 --- トラックバックさせて頂きました --- 【共謀罪に否定的な立場の記事】 共謀罪、早分かり&充実サイト by たまごの距離 人権の次は 『共謀罪』 by =社説は語る= あなたを襲う3つの恐怖(戦争と平和・政治経済) by とりあえずガスパーチョ 共謀罪:法務委員会質疑,田村委員(自民)「行政機関が組織犯罪集団になることは有り得るか?」 by エクソダス2005《脱米救国》国民運動 【共謀罪に肯定的な立場の記事】 凶暴罪?ノンノン、共謀罪 by ニッポンのこれから...

Posted in 私的スクラップ帳 on 2005年10月16日 21:50

小泉自民党の圧勝:これは単なる偶然の一致だろうか?

2005総選挙(asahi.comより)  周知のとおり、総選挙は自民党が過半数を制する圧倒的な勝利に終わった。自民党が圧勝することは新聞各紙の事前予測によってある程度予想していた事態とはいえ、こうしていざ現実として見せつけられると、なにやら不気味なものを感じる。  選挙結果を報じる今朝の新聞に目を通したあと、私はふと本棚から1冊の本を手にとった。何十年も前に書かれたこの本には、まるで今回の選挙を予言するかのように、こんなことが書かれている。  「大衆は、抽象的な観念にはほとんどなじんでいないから、彼らの反応は、その消極的であると同時に積極的な態度が深く根ざしている感情の領域にむしろ存する」「大衆の受け入れ能力にはきわめて狭い限度があるし、彼らの理解力は薄弱である。それに反して、忘れることにかけては実にすばやい」「(したがって)効果のある宣伝は、すべからく、ごくわずかの、ぜひ必要なものに限らねばならないし、また、ごくわずかな耳にたこのできたきまり文句でいわなければならぬ」「ある観念を、しまいには群集の記憶に刻みつけるには、たえず何回も繰り返す手に限る」  まるで、竹中郵政改革担当大臣が雇った某PR業者の資料を思わせる、一般の人々を卑下した文章である。ほとんどのマスコミが黙殺したその某PR業者の資料には、「小泉内閣の支持基盤は、主婦層、子供層、シルバー層など、『具体的なことはわからないが、小泉総理のキャラクターを支持する』IQが低くて構造改革にはポジティブな層」と書かれていたというのだから(そして文書は、このような層をターゲットに、繰り返し宣伝を行うことを勧めている。)。  またこの本には、今回の刺客劇を予言するかのような、こんな一節もある。  「敵に対する呵責なき猛攻撃を見る場合、人びとは常にそれを、積極的な攻撃者の側に正義がある証拠であると思うものだ」  まるで今回の選挙戦を見通していたかのような、的確な文章である。何十年も前に書かれたものであるにもかかわらず、「これは小泉自民党の今回の選挙方針を示す内部文書です」、と言われても十分に通用しそうなくらいである。  しかし私は、読めば読むほど背筋が寒くなった。というのも、何十年も前に書かれたこの本のタイトルは、『わが闘争』だからである。そう、先ほど引用した言葉はすべて、あの独裁者ヒトラーの言葉である。 ヒトラーの主張は単純で分かりやすく、人びとの心に訴えかける強い魅力をもっていました。彼はドイツがかかえる問題の病根は、あきらかであると主張していたのです。それは、ひとつはヴェルサイユ条約、もうひとつは国際資本主義でした。 「世界の歴史(9)」(J. M. ロバーツ/創元社)pp92 --- トラックバックさせて頂きました --- ネオ・ファシズムにようこそ by ★J憲法&少年A★ ヒトラーを支持した人々 by like a cup of coffee after working よっ!天下の虚偽男 by 続・愛のまぜご飯 だまされる国民たち by NOPOBLOG...

Posted in 私的スクラップ帳 on 2005年09月12日 09:19

終戦記念日:忘れてはいけないことがある 久米島事件の記録

8月15日、終戦記念日。しかし沖縄本島の西およそ100キロに位置する小さな島、久米島の住民にとっては、9月に入るまで悲劇が続いていた。しかもその悲劇は、味方であるはずの日本軍兵士によってもたらされたものだった。 周囲48キロほどの小さなこの島には、島の中央の山をはさんで、仲里村、具志川村の2つの村がある。沖縄戦のさなか、この山頂には鹿山兵曹長をはじめ、30名ほどの日本海軍通信隊が駐屯していた。最初は島の住民から「山の友軍」と呼ばれ、食料供給などを受けていた彼らは、やがて米軍が久米島に接近するにつれて、次第に島の住民をスパイ視するようになった。1945年6月26日、アメリカ軍は久米島に上陸。その翌日の6月27日、山頂に駐屯する通信隊に、米軍からの降伏勧告書が届けられた。ところが「山の友軍」は、勧告書を届に来た仲里村の郵便局員を、米軍のスパイだと決めつけたうえ銃殺してしまう。米軍と接触したというただそれだけの理由で。スパイであることを立証する具体的な証拠も、正当な裁判プ� �セスも無いまま、自国の民間人を銃殺したのである。 その後も、鹿山氏率いる日本海軍通信隊による久米島住民の虐殺は続いた。 6月29日、具志川村で2家族9名が通信隊によって斬殺される。この2家族のうちの2人が、アメリカ軍に捕らえられた後開放されたことから、アメリカ軍のスパイとされたのだ。そしてここでもまた、スパイとする具体的な根拠も裁判プロセスも一切無かった。通信隊の独断によって、しかもあろうことか家族もろとも、友軍であるはずの日本軍人によって、惨たらしく殺された。 8月15日、終戦。しかしその後も、久米島の悲劇は続いた。 8月18日、仲里村に隠れ住んでいた元海軍軍人の一家3人を惨殺。 8月20日、具志川村でスクラップ商を営む一家が鹿山氏の部下に襲われ、家族7人が惨殺された。この家の夫は朝鮮出身者だった。子供までもが無残に刺殺されたのは、「こやつも将来日本を売ることになる」「朝鮮の子供は大人になると何をするかわからない」などいう勝手な理由からだった。この事件の目撃者の一人は、後年こう述回している。「旧盆入りで、こうこうと明るい月夜の晩だったですよ。村民に変装した日本兵が一〇人ぐらいで、砂浜へ谷川さんの死体を捨てたのです。そのうち、兵隊の一人が小さな子供を抱えてきて、死体のそばに投げ落としたと思ったら、死体にとりすがってワアワア泣く。その子供に銃剣を浴びせたんですよ。何回も何回もトドメを刺すように切りきざんでいました。私はもう恐ろしくて膝が� ��クガクして・・・・・・・・・日本軍に死体の処理を命じられた私たち警防団員は、泣きながら海岸に穴を掘って埋めたのです。子供の断末魔の悲鳴がいまも耳に残るようで・・・・・・・・・本当にかわいそうだったですね。」(「沖縄の日本軍」大島幸雄著/新泉社より) ようやく久米島に終戦が訪れたのは、9月に入ってからだった。9月1日、日本軍上官が沖縄本島から派遣され、鹿山隊を説得。2日、鹿山隊は「終戦の詔勅」を受け入れ、7日になってようやく全員投降したのだった。終戦から実に23日後のことだった。 一家7人が惨殺された現場に残る「痛恨之碑」。大きなガジュマルの木の下に建てられたこの碑には、犠牲となった7人の名前と共に、こう記されている。「天皇の軍隊に虐殺された久米島住民・久米島在朝鮮人」と。 * * * 以下に引用するのは、鹿山元隊長へのインタビュー記事である。独断と偏見で住民を殺害した鹿山元隊長の行為は、決して許されるものではない。しかし同時に、このインタビューを読んで感じるのは、鹿山元隊長をこのような行為に駆り立てたのは「米軍の捕虜になったら、男は手足を切断されてから無残に殺され、女は繰り返しレイプされてから殺される」「国体護持のために身を捧げることこそが皇軍兵士の名誉である」という皇民化政策を、彼があまりにも素直に受け入れたということも一因ではないかということである。彼は、島民に対する加害者であると同時に、皇民化政策の被害者でもあるように思える。 「サンデー毎日」1972.4.2号「沖縄のソンミ事件」より 〔問〕あなたは久米島の住民を数回にわたって処刑しているといわれるが、真実か?具体的にいえば、小橋川・北原区長、糸数盛保・同区警防団長を含め、四家族九人の殺害と、その家への放火。そして、安里電信保守係の殺害。まず、この二つに限ってお聞きするが、間違いはありませんか。 〔答〕そのとおりです。これはその、スパイ行為ということですね。前者は、私直接には行きませんでしたが、軍隊を派遣してやらせたわけです。処刑は銃剣でやるように命令しました。突くようにね。 〔問〕突き殺して、放火した? 〔答〕ええ、火葬にしました。家といっしょにね、それから、あと片づけをするように、村長に命令しました。ええーと、ワシの見解はね、当時スパイ行為に対して厳然たる措置をとらなければ、アメリカ軍にやられるより先きに、島民にやられてしまうということだったんだ。なにしろ、ワシの部下は三十何人、島民は一万人もおりましたからね、島民が向こうがわに行ってしまっては、ひとたまりもない。だから、島民の日本に対する忠誠心をゆるぎないものにするためにも、断固たる処置が必要だった。島民を掌握するために、ワシはやったのです。 〔問〕安里電信保守係はどうしたのです?ピストルで撃って、ドブに蹴落としたといわれているが………。 〔答〕それはですね。ドブではないですよ。ちゃんと見張所の近くに埋める穴を掘って、そこに銃殺して埋めたということなんだ。これは私みずから、拳銃で処刑しました。ええ、拳銃を一発撃ってね、一発では死にませんから、苦しんでいる。かわいそうだから、兵隊にちゃんと銃に着剣させといて、両側からこうやって、息を引きとらせたんですよ。 〔問〕仲村梁(なかんだかり)さん一家、それに谷川さん一家の処刑も本当なんですね? 〔答〕ええ、まあ、スパイ行為で、何人かあったと思います。谷川というのは、朝鮮系で家族は二人だったか、三人だったか。命令して部下にやらせたのです。ワシが直接やったのは、電信保守係だけですが、その男はですよ、ワシの拳銃で撃たれるとき「どうもありがとうございました」と謝辞を述べてから、銃剣で息を引きとったんだ。 〔問〕殺されるのに、ありがとう、なんて言いますかね。 〔答〕日本国民で、しかも公務員がですよ、スパイ行為をして、指揮官直接に拳銃で撃たれたんだ。罪をみとめたわけですよ。だから悔いなど残りません、と。 〔問〕いま、あなたはどう思っていますか? 〔答〕少しも弁明はしません。私は日本軍人として、最高指揮官として、当時の処置に間違いがあったとは、ぜんぜん思っていないからです。それが現在になって、法的に、人道的に悪いといわれても、それは時代の流れとして仕方がない。いまは、戦争も罪悪視する平和時代だから、あれも犯罪と思われるかもしらんが、ワシは悪いことをしたと考えていないから、良心の呵責もない。ワシは日本軍人としての誇りを持っていますよ。 「琉球新報」1972.5.28 より 問い 久米島住民虐殺のあなたの言動について沖縄現地、とくに久米島の人たちが憤慨しているが。 答え どういう点を怒っているかということが問題ですね。 問い 二○日発売の『サンデー毎日』(四月二日号)を見たか。 答え 私とのインタビュー記事についてはその通りいったし、問題はない。 問い 反省していないのか。 答え 戦争中に取った行動に対しては当時の最高指揮官として、その時点において最善を払った。弁明は一切しないし、全部責任を持つ。 問い 住民を殺害した後、家に放火したことについてあなたは "火葬" したといっているが説明してほしい。 答え ああ、家ごと火をつけたことですが。まあ、それは、それは火葬ということでしょうな。正式には火葬という意味ではないでしょうがね。戦争中に家ごと焼き払ったということでしょうね。 問い 殺害したあとは、ほとんど家に火をつけているが。 答え 火をつけたのは北原だけだ。二七年前のことなので正確には記憶がない。 問い 良心の責め苦もないのか。 答え 良心の責め苦といってもね。いまの時代に考えればいろいろあるでしょうが当時の指揮官としての立場から最善を尽くしたこと、それに対していま時代が変わって、あれこれといわれても言を左右するということは日本の軍人としてはとらない。ワシは日本軍人としての誇りがある。(引用者注:太字部分は原文傍点)...

Posted in 私的スクラップ帳 on 2005年08月16日 09:30

メディアリテラシーについて考えさせられた記事

昨日の新聞を読んでるうちに、メディアリテラシーについて考えさせられるような記事があった。考えさせられるきっかけになったのは、長崎の被爆直後に書かれながら、GHQの検閲によって没収された米紙記者の記事を約60年ぶりに発見したという、毎日新聞の次の記事だった。 長崎原爆:米記者のルポ原稿、60年ぶり発見 検閲で没収(6/17 毎日新聞)  長崎市に原爆が投下された1945年8月9日の翌月、同市に外国人記者として初めて入り取材した米シカゴ・デーリー・ニューズ紙(廃刊)の故ジョージ・ウェラー記者の未公表の原稿と写真が60年ぶりに見つかった。原稿は、長崎市の惨状と原爆症に苦しむ市民の様子を克明に記している。ウェラー記者は原稿を連合国軍総司令部(GHQ)検閲担当部局へ送ったが、新聞に掲載されることはなかった。当時、米政府は原爆の放射線による健康被害を過小評価する姿勢を見せていた。この原稿が公表されていれば米世論に影響を及ぼし、核開発競争への警鐘となった可能性もある。  原稿は昨年夏、ウェラー記者が晩年を過ごしたローマ近郊のアパートで、息子の作家、アンソニー・ウェラーさん(米マサチューセッツ州在住)が発見した。タイプを打った際にカーボン紙で複写したもので茶色に変色しており、A4判で計約75枚、約2万5000語。長崎市内を撮った写真25枚は、記者(國枝)の取材を受ける準備のため、アンソニーさんが、5月11日にトランクを整理していて偶然発見した。 17日付の毎日新聞は、この記事を1面トップに掲げただけでなく、関連記事を2面に、また見開き2ページをつかって詳細な報告を掲載した。典型的なスクープ記事である。 記事は一貫して、毎日新聞の取材によって発見された単独スクープというスタンスで書かれている。これを読んだときには、私もそう思った。ところが、これについて報じる17日付の読売新聞夕刊の記事(俗にいう「後追い記事」)に、「おや?」と思うような記述があった。 被爆直後の長崎を取材、米紙記者原稿が60年ぶり発見(6/17 読売新聞)  長崎への原爆投下後、西側民間ジャーナリストとして初めて現地入りしたとされる故ジョージ・ウェラー氏の未発表ルポ原稿のコピーと写真が、約60年ぶりに発見されていたことがわかった。ウェラー氏の原稿は、連合国軍総司令部(GHQ)の検閲で新聞掲載を認められず、コピーも紛失したと見られていた。  ウェラー氏は2002年12月に95歳で死去。原稿は一昨年夏、息子で米マサチューセッツ州在住の作家、アンソニー・ウェラーさん(47)が、父が晩年を過ごしたローマの自宅などで発見し、昨年、米ボストン・グローブ紙で報じられていた。 読売新聞の記事によると、当時の原稿が発見されたというニュースは毎日新聞のスクープではなく、既に昨年ボストン・グローブ紙で報じられていたというのだ。そこで毎日新聞の記事をもう一度よく読んでみると、「長崎市内を撮った写真25枚は、記者(國枝)の取材を受ける準備のため、アンソニーさんが、5月11日にトランクを整理していて偶然発見した」とある。なんのことはない、毎日新聞が本当の意味でスクープした、つまり毎日新聞によってはじめて報じられた新事実というのは、「原稿を発見した」という部分ではなく、「写真が発見された」という部分なのだ。たしかに当時の写真がこれだけまとまって発見されたというのは大変なことで、そのきっかけとなった毎日新聞の取材は十分に評価されるべきだと思う。� ��かし、ならば「米記者のルポ原稿、60年ぶり発見」ではなく、むしろ「米記者撮影の写真、60年ぶりに発見」というタイトルにすべきではないか。しかも「米記者のルポ原稿」については昨年すでにボストン・グローブ紙によって報じられているにもかかわらず、そのことに言及せずにあたかも毎日新聞のスクープであるかのような報道をするのはフェアではない。 一方で、読売新聞の記事にも疑問を感じる。明らかに毎日新聞の後追い記事なのに、「未発表ルポ原稿のコピーと写真が、約60年ぶりに発見されていたことがわかった」と、「毎日新聞」の名前を出さないように書かれている。これはなにも読売新聞だけではなく、たとえば数年前の、「神の手」と呼ばれた発掘者による石器捏造事件のときにも同じことがあった。事件を最初にスクープしたのは毎日新聞だったにもかかわらず、この事件を報じる他紙はすべて「・・・が明らかなった」「・・・が分かった」といった書き方だった。これについて元毎日新聞の北村肇氏が、著書のなかでこんなことを書いている。  「分かった」は他紙に「抜かれた」時にも使う。たとえば、ある新聞が「○○代議士に政治資金規正法違反の疑い」というスクープを朝刊に載せたとする。仮に、すでに地検が捜査に着手していれば、「東京地検の調べで分かった」と自紙の夕刊に書ける。  だが、そのスクープが他紙の独自ネタの場合は、裏付けをとったうえで「分かった」と書くしかない。正しくは「○○新聞の報道に基づき取材したところ、分かった」だが、現状では、そうした表現はありえない。 (「新聞記事が「わかる」技術」/講談社現代新書 58ページより) 他紙に抜かれて悔しい思いをするという気持ちは理解できる。でも、事実は事実として報道すべきではないだろうか。海外の新聞では、「New York Times紙が報じた」とか「ワシントンポスト紙が明らかにした」 といった表現で、他紙のスクープであることを明記した記事をよく見かける。他紙がスクープしたことを記事で認めないという、日本の新聞のおかしな慣例は、そろそろやめるべきではないだろうか。 --- トラックバックさせて頂きました --- 長崎、1945年 by 壊れる前に…...

Posted in 私的スクラップ帳 on 2005年06月18日 17:20


どのように多くのISISの信者

北朝鮮「遺骨」問題:科学的根拠の不十分な「偽物」断定

北朝鮮は再び、横田めぐみさんのものとした遺骨を「偽物」と断定した日本政府を批判し、遺骨の返還を求めているようだ。 「遺骨」返還応じない 細田長官、北朝鮮の要求拒否(4/14 産経新聞) 細田博之官房長官は14日午前の記者会見で、横田めぐみさんのものではないと鑑定された「遺骨」の返還を北朝鮮側が求めていることに関し、政府として返還に応じない方針を示した。 めぐみさん「遺骨」問題、外務省が北朝鮮に反論(4/14 読売新聞) 外務省は13日、拉致被害者の横田めぐみさんの「遺骨」とされた骨は別人のものとする日本側鑑定結果に北朝鮮が反論している問題で、北朝鮮に対し、「鑑定は科学的で最高水準だ」などとする見解を改めて伝えた。 上記記事にもあるように、日本政府はDNA鑑定の結果をもとに、遺骨はめぐみさんとは別人のものだと断定し、「鑑定は科学的で最高水準だ」とする見解を改めて発表している。このニュースを伝える日本のマスコミも、遺骨はめぐみさんとは別人のものであることを当然の前提として報道している。 ところがこの日本側の鑑定結果に疑問を投げかける記事があった。掲載されたのは他でもない、一流の科学論文誌 Nature である。 Nature誌の2月2日付け(電子版)の記事は、遺骨からめぐみさんとは異なる5人のDNAを検出し、遺骨は偽物だとする政府見解の論拠となった鑑定を担当した、帝京大学の吉井講師(肩書きは当時)のインタビューを元に、鑑定結果だけからは遺骨はめぐみさんのものではないと断定できないと結論づけている。 DNA is burning issue as Japan and Korea clash over kidnaps(2/2 Nature電子版) Teikyo University's Tomio Yoshii, one of Japan's leading forensics experts, says there are several reasons why...

Posted in 私的スクラップ帳 on 2005年04月17日 19:48

インド/パキスタン:歴史的なバス運行の再開

4月7日。今日は私にとって、少しばかり感慨深い日だ。 今からおよそ6年前、私はインド北部のヒマラヤ山中に位置する町、スリナガル(Srinagar)を訪れたことがある。スリナガルから西に数十キロの場所には、パキスタンとの「停戦ライン」がある。「国境」ではない。パキスタン北部も含めたこの地方一帯はカシミールと呼ばれているが、その帰属をめぐっては両国が対立しており、国境が画定していないのだ。今でも地図を見ると、この付近一帯は停戦ラインの他に、インド主張の国境、パキスタン主張の国境などが複雑に入り組んでいる。 険しい地形のせいか、スリナガルには鉄道が通っていない。このため、町を訪れるにはバスか飛行機を使うしかない。 スリナガルに通じる道路は3本しかない。1つは、パキスタンとの停戦ライン沿いに東に伸びて、数年前に紛争が激化した町カルギルを通りチベット仏教の町レーに通じる、通称「ラダックハイウェイ」。1つは、南に向かって峠を越えてジャンムーを通りインドの首都デリーに通じる道。そしてもう1つは、西に向かってパキスタンとの停戦ライン(通称LoC:Line of Control)を通過し、隣国の町ムザファラバード(Muzaffarabad)に通じる道である。 6年前に私が訪れたとき、ちょうど大雪が降ってスリナガルから東と南に伸びる道路が両方とも崩れ、車が通れない状態になった。西に向かってLoCを通過する道路は崩れていなかったが、ここは両国の対立のために1947年10月を最後に何十年もの間、軍事的に封鎖されたままの状態だった。つまり私は、スリナガルに缶詰にされてしまったのだ。その当時、スリナガルに2週間近く滞在しながら「西に向かってLoCを通過する道が開放されていればなぁ!」と心の底から願ったことは、今でもなつかしく思い出す。 ところが、この長年にわたって封鎖されてきた、スリナガル-ムザファラバード間を結ぶルートが4月7日、つまり今日、開放されて、定期運行バスの運転がおよそ60年ぶりに再開する。20人あまりを載せたバスが、今日の午前中にスリナガルを出発し、LoCを超えてムザファラバードに到着する。現地の報道によると、搭乗する20人を一般から募集しておきながら、選ばれたのはほとんどが政府関係者であることに地元から不満の声があがっているようだが、これも今日だけのことだろう。両国を結ぶバス運行の再開を、素直に喜びたい。 まだまだ一部とはいえ、LoCが開放されて対立する両国の都市をバスが結ぶというこの歴史的な出来事に関連して、AFP通信の記者が(いったいどうやって探しだしたのか不思議だが・・・笑)当時のバスの運転手と乗客の話を配信している。まだこの地方が、ヒマラヤ山中の静かで平和な場所だった頃の光景が目に浮かぶ。 Elderly driver and passenger want to relive Kashmir bus journey (4/5 AFP通信)When the first bus rolls across the military frontier dividing Kashmir Thursday, memories will flood back for former driver Abdul...

Posted in 私的スクラップ帳 on 2005年04月07日 09:25

「表現の自由」制限を検討:自民党憲法起草委員会

「表現の自由」制限を検討 自民権利義務小委(2/28 共同通信) 自民党新憲法起草委員会の「国民の権利・義務」小委員会(船田元委員長)が、憲法21条の「表現の自由」「結社の自由」など基本的人権の制限を検討している。国の立場を優先して「国民の責務」を強調、個人の自由を抑制する国家統制的な志向が目立つ。制限の適用要件があいまいでメディア規制につながりかねないとの指摘も出そうだ。 「表現の自由」は民主主義社会の根幹をなすものの一つである。もしこの報道が事実なら、船田氏を委員長とするこの自民党の小委員会は、民主主義の根幹を全く理解していないと言わざるを得ない。 そもそも「表現の自由」の思想的根拠は、人間は神でない以上、誰でも間違いをおかすという点にある。船田氏らの自民党新憲法起草委員会「国民の権利・義務」小委員会のメンバーは、1859年に発表されたJ・S・ミルの古典的名著「自由論」に目を通すべきだ。  今やわれわれは、四つの明白なる根拠に基づいて、意見の自由および意見を発表することの自由が、人類の精神的幸福(人類の他の一切の幸福の基礎をなしているところの幸福)にとって必要なことを認識した。以下、簡単にその四つの根拠を概括しよう。  第一に、或る意見に沈黙を強いるとしても、その意見は、万が一にも真理であるかも知れないのである。このことを認めないのは、我々自身の絶対無謬性を仮定することである。  第二に、沈黙させられた意見が誤謬であるとしても、それは真理の一部分を包含しているかも知れないし、通常は、包含していることがしばしばある。そして、いかなる問題についても、一般的または支配的な意見が完全な真理であることは稀であるか、絶無であるものであるから、真理の残りの部分の補充されうる機会は、相反する意見の衝突することによってのみ与えられるのである。  第三に、一般に認められている意見が単に真理であるというに止まらず、完全なる真理であるという場合においてすら、それに対して活發な真摯な抗議を提出することが許され、また実際に提出されるということがないならば、その意見を受容する人々の大多数は、偏見を抱く仕方でそれを抱き、それの合理的根拠を理解しまたは実感するということはほとんどないであろう。だがそれだけでなく、さらに第四に、その教説そのものの意味が失われまたは弱められて、その意見が人の性格と行為とに与える生き生きとした影響が抜き取られる、という懼れがあるであろう。すなわち、その教説は、単なる形式的な信条告白となり、永遠に効能を欠いて、ただいたずらに場所をふさぎ、理性または個人的経験から真実な心からの確信が成長� ��てくるのを妨げることになるのである。(J・S・ミル著「自由論」岩波文庫 p107-108より) 小委員会のメンバーは、憲法改正について議論するという非常に重要な立場にあるはずである。そうである以上、およそ150年前にミルが論じた「表現の自由」の思想的根拠を知らない委員は、そのような場所で「表現の自由」について論じる資格などないのではないだろうか。 --- トラックバックさせて頂きました --- この国の行く末 by およげたいやきくん 憲法は誰がつくり、誰が変えるのか by ★J憲法&少年A★ 「言論の自由」を死守せよ by nanayaのひとりごと...

Posted in 私的スクラップ帳 on 2005年03月01日 08:55

沖ノ鳥島は「島」?それとも「岩」?

英字新聞を読んでいると、日本のメディアではほとんどあたりまえのこととして報じられている事柄について、ときどき、「エッ!」と思うような全く別の視点で書かれた記事を目にすることがあって面白い。1/18付のJapan Times紙に掲載された下記の記事も、そんな「エッ!」と思わされるような記事だった。 去年ごろから、中国が東シナ海の日本の排他的経済水域(EEZ)内で資源調査をしたり、沖ノ鳥島のことを「ただの岩であり、周囲は日本のEEZではない」と主張したりといった報道が盛んにされている。これらを報道する際、日本のテレビや新聞では、東シナ海や沖ノ鳥島周辺の日本のEEZを示す境界線が描かれた地図が何の疑問もなく登場し、これらの境界線は当然のこととして報道される。保守派から「中国寄りだ」と批判される朝日新聞ですら、たとえば下記の記事では「沖ノ鳥島(東京都)周辺の日本の排他的経済水域(EEZ)内で中国海洋調査船が確認されている問題で」とあるように、沖ノ鳥島周辺が日本の排他的経済水域であることを当然の前提として記事が書かれている。 「沖ノ鳥島沖で経済活動」都知事が表明 中国調査船問題(2004 12/10 朝日新聞) しかし1/18付のJapan Times紙に掲載された記事によると、これら「EEZの境界線」とされているものは日本政府がそう主張しているだけで、国連海洋法条約に照らし合わせてみると実は中国の主張のほうに理があるというのである。記事では、東シナ海のEEZについて述べたあと、沖ノ鳥島周辺に日本政府が主張するEEZについて、こう書いている。 Opinion: Same old contrived hysteria / By Gregory Clark (1/18 The Japan Times) Japan's claim to a EEZ over a vast area of the Pacific Ocean around a tiny fragment of coral...

Posted in 私的スクラップ帳 on 2005年01月31日 09:47

【緊急署名】攻撃激化に反対の意思表示を(転載歓迎)

(以下、転送・転載歓迎) 報道によると、10月29日付のランセット誌に、侵略が行われなかった場合に予想される死者数よりも100,000も多くのイラク人が死亡したとの推定結果が報告されています(ただしこの数字には今回のファルージャ侵攻による犠牲者は含まれていない)。また、犠牲者のうち84%は連合軍の行動によるものであり、95%は空襲や砲撃によるものであるとも・・・。 Civilian death toll in Iraq exceeds 100,000 (Reuter 10/28) Tens of thousands of Iraqis have been killed in violence since the U.S.-led invasion last year, American public health experts have calculated in a report that estimates there were...

Posted in 私的スクラップ帳 on 2004年11月11日 04:21


検証:イラク戦争と国連憲章(3)

検証:イラク戦争と国連憲章(1) 検証:イラク戦争と国連憲章(2) これまで書いてきたことをふまえて、いよいよイラク戦争が違法な戦争にあたるのかどうか、検証してみる。前回書いたように、このイラク戦争は一連の国連安保理決議(687,678,1441号)による、国連憲章第42条に基づいた武力行使であるというのが、日本をはじめイラク戦争を支持した国の主張である。では、日本政府は具体的にどのようなロジックでイラク戦争を合法と解釈したのだろうか。 イラクへの武力行使の正当性等に関する質問主意書(平成十五年三月二十日提出・質問第三七号/提出者:江田憲司)一 国連決議一四四一は、川口外務大臣の予算委での答弁にもあるように、それ自体は武力行使を容認していないと解するが、改めて確認を求める。 二 湾岸戦争当時の国連決議六八七、六七八を、前提条件や事情が異なる今回のケースに適用することはできないと考えるが、政府の見解如何。 三 二の答えで、国連決議六七八を今回のケースにも適用できるとする場合は、当時のベーカー米国務長官が、その回顧録(The Politics of Diplomacy)で、「バクダッドまで進軍してサダムフセイン政権を倒すべきではなかったか」という議論は「当時も今もナンセンス」とした上で、「国連決議が多国籍軍に認めていたのはクウェートの解放だけだから、それを尊重すべき」としていることについて、どう整合性をとるのか。 (以下略) 衆議院議員江田憲司君提出イラクへの武力行使の正当性等に関する質問に対する答弁書(内閣衆質一五六第三七号・平成十五年四月一日/内閣総理大臣 小泉純一郎)一について  国際連合安全保障理事会(以下「安保理」という。)の決議第千四百四十一号(以下「決議一四四一」という。)自体には、国際連合加盟国のイラク共和国(以下「イラク」という。)に対する武力行使を容認している部分はない。 二及び三について  安保理の決議第六百八十七号(以下「決議六八七」という。)及び決議第六百七十八号(以下「決議六七八」という。)は、決議一四四一において引用されているとおり現在も有効であり、御指摘の今回のケースに決議六八七及び決議六七八の効力が及ぶことは、決議一四四一の文言からも明らかである。アメリカ合衆国(以下「米国」という。)のブッシュ大統領も、本年三月十七日(現地時間)に行った演説の中で、決議一四四一に言及した上で、現在でも有効である決議六七八及び決議六八七の下で、米国とその同盟国は武力を行使しイラクの大量破壊兵器を排除する権限が与えられている旨述べていると承知している。なお、お尋ねのベーカー元米国国務長官の著書の中の記述については、政府として答弁する立場にはない。 (以下略) つまり、イラクに武装解除の機会を与えた1441号が守られなければ、大量破壊兵器の査察を定めた687号は無効になり、武力行使を容認した678号により、武力行使を含むあらゆる必要な手段の行使が可能になる、という解釈なのだ。しかし前回書いたように、決議678号はそもそも10年以上も前の1990年に採択されたものであり、その内容は当時クウェートを侵攻したイラクに対して、アメリカを中心とする多国籍軍に「あらゆる措置」をとる権限を与えたというもの。しかもイラクが大量破壊兵器を撤去しなければ「深刻な結果」をもたらすと警告する決議1441号について、政府は「武力行使を容認している部分はない」と明言している。イラク戦争を合法とする上記のようなロジックには無理があると言わざるを得ない。 しかしいくら無理があるロジックでも、もしそれが安全保障理事会としての解釈であれば、少なくとも法的にはイラク戦争は合法化されるのも事実である。そこで次に、本当に安全保障理事会はこのような無理のある解釈をしているのかどうか、検証してみる。 その前に、以下の文章で「有権解釈」というやや耳慣れない言葉が出てくるので、これについて若干説明しておく。そもそも法律や決議にはある程度の幅でさまざまな解釈が可能である。例えば憲法9条ひとつとっても、自衛隊は憲法違反であるとする解釈もあれば、限られた範囲であれば軍隊すら持つことができるとする解釈もある。こうしたさまざまな解釈のなかから、政府や国連といった公的機関が採用している解釈が、有権解釈と呼ばれる。例えば先の例で言うと、日本政府の憲法9条と自衛隊に関する有権解釈は、自衛隊は合憲である、といった具合である。 もし安全保障理事会の有権解釈が、先のようなやや無理のある解釈であるならば、イラク戦争は法的には問題がないことになる。本当にそうか。先の質問趣意書とそれに対する答弁書のなかに興味深い箇所があるので、そこを見てみよう。 イラクへの武力行使の正当性等に関する質問主意書(平成十五年三月二十日提出・質問第三七号/提出者:江田憲司)(略) 四 アナン国連事務総長の、武力行使の正当性に疑問を投げかける発言(「安保理の支持なしに武力が行使されれば、その正当性に疑問」という発言;三月十七日)、武力行使開始に対する「強い遺憾の意」の表明(三月二十日)を、どう受け止めているか。国連憲章違反、国際法違反を指摘したものではないのか。 五 四の答えで、あくまでも国連憲章に違反しないと強弁するなら、一般論として、国連決議の公定解釈権は誰(どこ)にあると考えているのか。加盟国が勝手に解釈すればいいのか。米国や日本にあるのか。 (以下略) 衆議院議員江田憲司君提出イラクへの武力行使の正当性等に関する質問に対する答弁書(内閣衆質一五六第三七号・平成十五年四月一日/内閣総理大臣 小泉純一郎)(略) 四について  お尋ねのアナン国際連合事務総長の本年三月十七日及び同月二十日(いずれも現地時間)の発言は、今回の武力行使が国際連合憲章又は国際法に違反するものであると指摘したものではないと考えている。 五について  かねてから申し上げているとおり、安保理の決議の有権的解釈を行うのは、安保理である。 (略) 安保理としての有権解釈(なぜか答弁書では有権的解釈という変な言葉になっているが...)をするのは安保理である―――なかなか人を馬鹿にしたような答弁である。さすがに質問者の江田憲司議員もこの回答には不満だったようで、後日さらに質問趣意書を提出している。関連する質問と、それに対する政府側回答を以下に引用する。 イラクへの武力行使の正当性等に関する再質問主意書(平成十五年四月一日提出・質問第四五号/提出者:江田憲司)一 政府答弁では、「安保理決議の有権的解釈を行うのは、安保理である。」とされているが、国連決議六七八を、今回の武力行使を正当化する根拠として、いつ、どういう形で、安保理が認めているのか。 二 少なくとも、フランスやロシア、中国といった常任理事国が、今回の武力行使を国際法違反、国連憲章違反としている以上、この問題での安保理の有権的解釈は存在しないのではないか。武力行使という一国の主権を侵害する行為を既存の決議で正当化するには、最低限でも安保理での有権的解釈が確立しているべきではないのか。 三 政府答弁で、国連決議六七八及び六八七が武力行使を正当化する根拠とした上で、その理由を「米国とその同盟国は武力を行使しイラクの大量破壊兵器を排除する権限を与えられている旨述べていると承知している」からとしているが、「米国とその同盟国が主張」すれば、国連決議は如何ようにも解釈できるという意味か。「安保理決議の有権的解釈を行うのは、安保理である。」との政府の立場との整合性も、あわせて問う。 衆議院議員江田憲司君提出イラクへの武力行使の正当性等に関する再質問に対する答弁書(内閣衆質一五六第四五号・平成十五年四月八日/内閣総理大臣 小泉純一郎)一から三までについて  国際連合安全保障理事会(以下「安保理」という。)の決議の有権的解釈を提示するために特に定められた手続というものが存在するとは承知していないが、安保理の決議の解釈に疑義が生じた場合は、必要に応じ、安保理で討議を行い、新たな安保理の決議の採択又は安保理議長声明の発表によって処理することもあり得ると承知している。そのような意味で、安保理の決議の有権的解釈を行うのは安保理であると考える。今回のイラク共和国(以下「イラク」という。)に対する武力行使が安保理の決議第六百七十八号、決議第六百八十七号及び決議第千四百四十一号に照らし正当化されることについては、安保理の理事国であるアメリカ合衆国(以下「米国」という。)、グレート・ブリテン及び北アイルランド連合王国、スペイ� ��、ブルガリア共和国がこのように判断をしていると承知しており、また、我が国を含む多くの国もかかる判断を正当なものとしてイラクに対する武力行使を支持している。なお、これらの安保理の決議の解釈に関連して、異なる内容の新たな決議の採択又は安保理議長声明の発表がなされたとは承知していない。 「フランスやロシア、中国といった常任理事国が、今回の武力行使を国際法違反、国連憲章違反としている以上、この問題での安保理の有権的解釈は存在しないのではないか」という質問に対して、「アメリカ合衆国(以下「米国」という。)、グレート・ブリテン及び北アイルランド連合王国、スペイン、ブルガリア共和国がこのように判断をしていると承知しており、また、我が国を含む多くの国もかかる判断を正当なものとしてイラクに対する武力行使を支持している」と、あたかも多数の国が武力行使を正当化する解釈をしているのだから法的に問題ないと言いたいようである。しかし「有権的解釈は存在しないのではないか」という質問に対しては、何も答えていない。 そもそも答えようがないのである。というのも、常任理事国5カ国のうちの3カ国(フランス、ロシア、中国)がイラク戦争を国際法違反と主張しているのだから。つまり「イラクに武装解除の機会を与えた1441号が守られなければ、大量破壊兵器の査察を定めた687号は無効になり、武力行使を容認した678号により、武力行使を含むあらゆる必要な手段の行使が可能になる」などという解釈は、アメリカやイギリスをはじめ何カ国かがそう解釈しているというだけであって、安保理としての有権解釈ではないのだ。 以上のことからイラク戦争は、一連の国連安保理決議(687,678,1441号)による国連憲章第42条に基づいた武力行使であるとはとても言えず、アナン事務総長の言うように、国際法違反・国連憲章違反である可能性が非常に高い。 (完)...

Posted in 私的スクラップ帳 on 2004年10月24日 14:36

検証:イラク戦争と国連憲章(2)

そもそも国連憲章では、武力の行使は原則として禁止されている(国連憲章第2条)が、例外が2つだけ規定されている。(1)武力攻撃が発生した場合に安保理が必要な措置をとるまでの間、国家に認められる個別的または集団的な自衛権の行使(国連憲章第51条)と、(2)平和に対する脅威、平和の破壊または侵略行為に対する集団的措置として安保理が決定する行動(国連憲章第42条)である。つまりイラク戦争が適法であるためには、(1)または(2)のいずれかを満たすものでなくてはならない。逆に言えば、もしイラク戦争がこの2つの要件のいずれも満たさないような戦争であれば、アナン事務総長の言うように国連憲章に照らして「違法な戦争」ということである。 国連憲章 第2条  この機構及びその加盟国は、第1条に掲げる目的を達成するに当っては、次の原則に従って行動しなければならない。 1. この機構は、そのすべての加盟国の主権平等の原則に基礎をおいている。 2. すべての加盟国は、加盟国の地位から生ずる権利及び利益を加盟国のすべてに保障するために、この憲章に従って負っている義務を誠実に履行しなければならない。 3. すべての加盟国は、その国際紛争を平和的手段によって国際の平和及び安全並びに正義を危うくしないように解決しなければならない。 4. すべての加盟国は、その国際関係において、武力による威嚇又は武力の行使を、いかなる国の領土保全又は政治的独立に対するものも、また、国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎まなければならない。 5. すべての加盟国は、国際連合がこの憲章に従ってとるいかなる行動についても国際連合にあらゆる援助を与え、且つ、国際連合の防止行動又は強制行動の対象となっているいかなる国に対しても援助の供与を慎まなければならない。 6. この機構は、国際連合加盟国ではない国が、国際の平和及び安全の維持に必要な限り、これらの原則に従って行動することを確保しなければならない。 7. この憲章のいかなる規定も、本質上いずれかの国の国内管轄権内にある事項に干渉する権限を国際連合に与えるものではなく、また、その事項をこの憲章に基く解決に付託することを加盟国に要求するものでもない。但し、この原則は、第7章に基く強制措置の適用を妨げるものではない。 (中略) 第41条  安全保障理事会は、その決定を実施するために、兵力の使用を伴わないいかなる措置を使用すべきかを決定することができ、且つ、この措置を適用するように国際連合加盟国に要請することができる。この措置は、経済関係及び鉄道、航海、航空、郵便、電信、無線通信その他の運輸通信の手段の全部又は一部の中断並びに外交関係の断絶を含むことができる。 第42条  安全保障理事会は、第41条に定める措置では不充分であろうと認め、又は不充分なことが判明したと認めるときは、国際の平和及び安全の維持又は回復に必要な空軍、海軍または陸軍の行動をとることができる。この行動は、国際連合加盟国の空軍、海軍又は陸軍による示威、封鎖その他の行動を含むことができる。 (中略) 第51条  この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない。この自衛権の行使に当って加盟国がとった措置は、直ちに安全保障理事会に報告しなければならない。また、この措置は、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持または回復のために必要と認める行動をいつでもとるこの憲章に基く権能及び責任に対しては、いかなる影響も及ぼすものではない。 ではイラク攻撃を支持した国は、この戦争が国連憲章に合致することをどのようなロジックで主張したのだろうか。それを非常に簡潔な文章でまとめたものが、イラク復興支援特別措置法案(通称「イラク特措法」)の第1条の最初の一文である。 イラク復興支援特別措置法案 全文(PDFファイル) 第1章 総則  第一条 この法律は、イラク特別事態(国際連合安全保障理事会決議第六七八号、第六八七号および第一四四一号並びに関連する同理事会決議に基づき国際連合加盟国によりイラクに対して行われた武力行使ならびにこれに引き続く事態をいう。以下同じ)を受けて、(以下略) つまり、イラク戦争は3つの国連安保理決議(678,687,1441号)に基づいたものであり、国連憲章第42条の要件を満たす戦争であると主張しているのである。本当にそうか。さらに具体的に見てみることにしよう。まずこの3つの国連決議だが、それぞれ以下のような内容である。 国連安保理決議678号: 1990年採択。クウェートを侵攻したイラクに対して、アメリカを中心とする多国籍軍に「あらゆる措置」をとる権限を与えたもの。 国連安保理決議687号: 1991年採択。イラクに対して、国際機関による監視のもと、大量破壊兵器や射程150キロ以上の弾道ミサイルなどを破壊あるいは撤去することを求めたもの。 国連安保理決議1441号: 2002年11月採択。イラクは安保理決議687号に違反していると断定。イラクに対して、大量破壊兵器や弾道ミサイルの検証可能な破壊あるいは撤去をしないと「深刻な結果」をもたらすと通告。 これら3つの安保理決議によって、本当にイラク戦争は正当化されるのだろうか。さらに詳しく見ることにする。(つづく) 検証:イラク戦争と国連憲章(1)...

Posted in 私的スクラップ帳 on 2004年10月13日 08:57

NY Times紙 「ブッシュ大統領は謝罪すべきだ」

9.11調査委員会の報告にもかかわらず、イラクの旧フセイン政権とアルカイダの間に関係があったと強弁しつづけるブッシュ大統領に対して、あのNew York Times紙が「ブッシュ大統領は謝罪すべきだ」とする記事を掲載した。 The Plain Truth (The New York Times : June 17, 2004) Now President Bush should apologize to the American people, who were led to believe something different. Of all the ways Mr. Bush persuaded Americans to back...

Posted in 私的スクラップ帳 on 2004年06月18日 22:55

小泉発言の耐えられない軽さ

小泉首相の発言が、どれほどいいかげんなものなのか、このブログでもたびたび取り上げてきましたが、今朝の朝日新聞朝刊を見て改めてこの人のいいかげんさを痛感させられました。asahi.com上ではまだ出ていなかったので、新聞紙面(13版)から引用します。 その1 先日小泉首相が訪朝した際、ジェンキンスさんに対して「I guarantee(私は保証します)」で始まる手書きの念書を作成して手渡していました。これについて先日の国会で質問された首相は以下のように発言したとのこと。 揺らぐ首相「保証」発言 首相は27日の国会答弁で「米国側と事前に話がつく問題ではない。ジェンキンス氏が帰っていないのに、恩赦しますとか、訴追はしないとか、事前に米国が公式的な場では言えない」と明言。 それじゃいったい、ジェンキンスさんに示した "I guarantee" というのは、いったいどれほどの保証だったのだろうか。一人の人の人生を左右するほどの影響力のある念書なのに、小泉という人にとっては、これほどまでに軽々しい「保証」だったということなんだろうか。もとより、いくら小泉首相が「I guarantee」と言ったところで、「でもあなたが総理を辞めた後までは保証されないでしょ」、と言われればそれまでなのだが。(だって念書の主語は "I" なんだから!) その2 年金給付水準が、現役のときの収入の50%が保証されると、これまで政府は説明してきました。ところがこれについても首相は以下のような発言をしたとのこと。 年金給付50%割れ 政府説明に首相「問題はない」 「標準的なモデルを示したほうが分かりやすい。『65歳時点では50%程度ですよ』と(いうことだ)」と述べ、政府の説明に問題はなかったとの認識を示した。 これはまた、とんでもないデタラメだ。「65歳の時点で50%程度」なんて言ってるけど、実際は、場合によっては50%どころか30%すら下回るのだから。 独身男性、現役世代の29%に 受給開始20年後の年金(asahi.com) 共働き世帯の現行制度での給付水準は現役の46.4%だが、23年度以降に受給が始まる場合、65歳の開始時が39.3%、10年後で35.3%、20年後で31.7%となる。最も給付水準が低い独身男性では、受給開始時点ですでに36%で、20年後には29%になる。厚生年金は所得水準が低いほど給付が手厚いため、男性に比べ平均所得の低い独身女性は、開始時44.7%、20年後で36%となる。 それにしても不思議なのは、こんなデタラメな総理大臣なのに、なぜかいまだに4〜5割もの支持率があること。これだけは、いつも不思議に思う。...

Posted in 私的スクラップ帳 on 2004年06月01日 09:07


イラク人質事件・短絡的な「自己責任」論

イラクで人質となっていた3人に対して、批判の声が強まっている。小泉総理は見るからに不快そうな面持ちで「これだけの目に遭って、これだけ多くの人が救出に寝食を忘れているのに、なおかつそういうことを言うんですかね。自覚を持ってもらいたい」と語り、公明党の冬柴氏は「損害賠償請求をするかどうかは別として、政府は事件への対応にかかった費用を国民に明らかにすべきだ」と語った。他の閣僚や与党議員のなかからも次々と3人およびその家族を批判する言葉が相次いでいる。 首相、イラク残留希望に不快感 「自覚持ってほしい」(産経新聞) 「人質解放の費用公表を」 政府・与党に自己責任問う声(朝日新聞) 彼らは、なんと短絡的な見方しかできない人たちなんだろう。「費用負担」だの「自己責任」だのを盾に、3人および家族を批判する連中がゴロゴロとTVや新聞に出てくる状況に、憤りを感じる。 そもそも冬柴氏らの言う「費用負担」という話自体、いかに彼らが短絡的な見方しかしていないかを示している。たしかに人質解放の過程で、政府はかなりの負担を負ったのだろう。しかしイラク(およびイラクをはじめとするアラブ諸国)の人々が、アメリカと同盟を結んでいるにもかかわらず日本という国に対して、概して親近感をもっているのは、彼らNGOや民間団体の長年にわたる活動に拠るところが大きい。こうした、イラクの人々と日本人との間の長年にわたる交流によって築かれてきた信頼関係は、日本にとって(イラクにとってもだが)お金に換えがたい財産である。このことを考慮するならば、「費用負担」などという心ない言葉を3人やその家族に投げかけることなど、決してできないではないか。近視眼的で短絡� ��な発想しかできない、貧困な想像力しかない政治家など、政治家の名に値しない。 皮肉なことに、人質となった3人を評価する声は海外から聞こえてきている。 3人の開放に尽力し、開放の場にも立ち会ったイラク・イスラム聖職者協会のアブサラム・クバイシ師は、開放直後の高遠さんに「あなたは平和の人だ、またぜひイラクで活動して下さい」と語りかけ、アメリカのパウエル国務長官はJNNとのインタビューで「日本人は自ら行動した国民がいることを誇りに思うべきです」と語り、フランスのル・モンド紙は「事件は、外国まで人助けに行こうという世代が日本に育っていることを世界に示した」と高く評価している。 米国務長官「3人を誇りに思うべき」(JNN) Colin L. Powell On Release of Japanese Hostages(上記インタビュー全文) 「日本にも新世代育つ」 仏紙が3邦人の行動を弁護(朝日新聞) 「自己責任」うんぬんを主張する人々のなかには、常日ごろ「愛国心」だの「日本人としての誇り」だのを言っている人もいるが、彼らにとっての「日本人としての誇り」というのは何なんだろうか。私はこの3人をはじめ、世界各国で人道活動している人々のことを、とても誇りに思うのだが。...

Posted in 私的スクラップ帳 on 2004年04月17日 08:35

自衛隊の派遣先は戦闘地域?

Japanese Critics File Suit on Deployment (イギリス:Guardian紙) イギリスの新聞Guardianに掲載された記事。記事自体は、日本でイラクへの自衛隊派遣を違憲とする訴訟が起きていることを伝える、べつにどうということのないものだけど、記事の最後の段落に目がとまりました。そこに、こんな記述があったからです。 The Iraq mission is the first deployment of Japanese troops to a combat zone since 1945.(イラクでのミッションは、日本にとって1945年以来初めての、戦闘地域[combat zone]への日本軍[Japanese troops]の展開となる。) 政治屋たちの政争の具にされたあげく、「非戦闘地域だから」という子供騙しの屁理屈でイラクに派遣されている自衛隊の方々は、今、何を思いながら活動されているんだろう。...

Posted in 私的スクラップ帳 on 2004年03月01日 23:43

男らしさと女らしさ

「男らしさ・女らしさ」日本の高校生は意識希薄(読売新聞) 日米中韓で行われた「高校生の生活と意識に関する調査」で、日本の高校生は「男は男らしく」「女は女らしく」といった性差意識が突出して低いことが16日、教育研究機関のまとめで分かった。(中略)また、「結婚前は純潔を守るべき」との設問に対する肯定も、日本は(中略)著しく低くなっている。  さらに、各国の高校生の規範意識を探るため、14の行動を挙げて評価を求めたところ、日本は「学校のずる休み」を「よくない」と答えたのは27・4%しかなく、「親に反抗する」(よくない=19・9%)、「先生に反抗する」(同25・1%)も、批判は他の3か国より少なかった。 この記事を読んだとき、ちょっとした引っ掛かりを感じました。 「いかにもオヤジ心をくすぐりそうな、ちょっとデキすぎた話じゃないか?? それに、なんで調査対象にヨーロッパの国が入ってなんだろう??」 たいした記事でもないのに、いちど不審に感じたら「よし、ちょっと調べてみるか!」と、ついつい思ってしまい、小一時間ばかりGoogleを使って調べて見た。すると、けっこう面白いことが分かってきた。 まず、この調査をおこなった財団法人日本青少年研究所のホームページにアクセスしてみると、ありがたいことに読売の記事の元となった調査結果報告書がスンナリと出てきた。 男女別集計結果(PDFファイル) これをみると、たしかに読売の記事でとりあげられた、「男は男らしく」「女は女らしく」すべきと答えた率などで、日本の高校生が4カ国中最低となっている(問19に対する回答表9・10など)。ところが集計結果をよくよく見てみると、記事の論調とは正反対の傾向を示すような集計結果もあることに気づいた。たとえば問12の「あなたにとって、次の項目は男のイメージがしますかそれとも女のイメージがしますか?」という問いについて、「かわいい」「わがまま」「おしゃべり」などの項目を女らしいと答えた率が4ヶ国中でいちばん高かったのは日本の高校生。逆に「頼りになる」「リーダーシップのある」という項目を男らしいと回答した率が高かったのも、日本の高校生だった。さらに「電車の中で大声でしゃべる」「電 車の中で携帯電話を使う」「電車の中で化粧をする」「出会い系サイトを利用する」といったことを「よくないこと」と感じる割合が一番高いのも日本の高校生。こうしてみると、日本の高校生もなかなかやるもんだ! こうしてみると、先の読売新聞の記事のうさんくささがよく見えてくる。つまり、この記事を書いた記者は、集計結果のなかから「日本の高校生は健全でない」と見えるようなデータだけを拾ってきて、都合よく記事を書いているだけなのだ。 デタラメ記事を書いた記者も記者なら、それに疑問を感じずに、次のような社説を書いて掲載してしまう新聞社も新聞社だ。 社説:[性差意識]「男性優位も性の否定も間違いだ」(読売新聞) 高校生や教育システムを批判する前に、自分たちの都合のいいデータだけをつまみ食いした記事や社説を堂々と載せてしまうという、報道機関として恥ずかしいことがなぜ起こったのかを検証することのほうが先じゃないの??...

Posted in 私的スクラップ帳 on 2004年02月24日 23:42

小泉首相のウソ・デタラメ

大量破壊兵器将来見つかる 衆院予算委で小泉首相(共同通信) 小泉純一郎首相は26日午後の衆院予算委員会で、日本がイラク戦争を支持した根拠だった大量破壊兵器について前米調査団長が「存在するとは思えない」と言明したことに関連し、「今持っているとも、持っていないとも断定できない。将来見つかる可能性はある」と引き続き、捜索に期待する考えを表明した。 イラクの大量破壊兵器捜索を注視=小泉首相(時事通信) 「(イラクに大量破壊兵器が)ないとは断定できない」と述べた。首相官邸で記者団に答えた。 イラク戦争開戦前後に、何度も何度も大量破壊兵器の存在を「断定」していたのは、ほかならぬ小泉首相だったはず。この人の言葉の軽さに、いいかげんウンザリさせられる。 また、先の時事通信の記事を読んでいて、小泉という人のいいかげんさに驚かされたことがもう一点。 また、首相は米英によるイラク戦争を支持した判断について「正しかったと思う。国連憲章にのっとった行動を日本は支持した」と強調した。 これがどれだけいいかげんでデタラメな発言かは、国連のホームページをみればよく分かる。たとえば2003年9月23日の第58回国連総会で、アナン事務総長ははっきりとこう述べている。 国際連合広報センター October/November 2003 Vol.45(PDFファイル) (イラク攻撃を開始した米英の)主張によると、各国は、安全保障理事会(安保理)が同意するまで待つ義務がなく、単独で行動したり、その場限りの連合を組んだりする権利があるということになります。 この論理は、過去58年間、不完全とはいえ世界の平和と安定を保つ基礎となってきた原則に対する根本的な挑戦です。 デタラメを並べるのもいいかげんにしてほしい。...

Posted in 私的スクラップ帳 on 2004年02月01日 23:37

サダム後のイラクに関する的確な分析記事

Hard Questions We Need To Ask About Saddam (Al-Hayat紙) アラブ世界の代表的な新聞であるAl-Hayat紙が、「我々が問うべき、サダムに関する困難な質問」と題した興味深い論説を掲載している。 論説はまず、「サダムフセインは、ブッシュ大統領の言うように、拷問者であり殺人者であり、最低の暴君か?(Was Saddam Hussein, in President Bush's words, a 'torturer, murderer and disgusting tyrant'?)」と問いかけ、クルド人に対する毒ガス攻撃など具体例を挙げながら、「Yes」と答える。 ここまでならば誰もが知ってる事実であり、特になんということはないが、つづいて書かれている第2の「困難な質問」とその回答が興味深い。 第2問。「そのことが、アメリカやイギリスが戦争を行った理由だろうか?(Was this why the United States and Britain waged war against him?)」 この問いに対して、論説の筆者は明確に「No it was not.」と答える。理由は、イラン・イラク戦争中にフセインがおこなった犯罪や、クルド人に対する虐殺行為などをアメリカ等は当時から知っていながら、フセイン政権を支持し(ラムズフェルドは当時、フセインと握手すらしていた!)、兵器を売りつづけていたからだ。...

Posted in 私的スクラップ帳 on 2003年12月23日 00:40

経団連 奥田会長の視野の狭さ

基礎年金の税方式で一致 経団連、連合首脳(共同通信) 消費税引き上げ検討を 経団連、献金で10項目共同通信(共同通信) 経団連の奥田会長が、厚生省が示した年金改革案に反対している。なぜ反対かというと「企業負担の増加は、産業活動に足かせとなる」からだとか。ならばどういう年金制度を提案しているんだろうと思った。調べて見て、ア然とした。詳細は上の記事や経団連HPを見てもらいたいけど、簡単にいうと「法人税率引き下げと消費税率16%への引き上げをおこない、消費税による増収分を年金にあてる」というもの。考え方はとっても単純で、要するに企業の負担を減らして市民の負担を増やして、それで年金を支えましょうということなんだろう。個人の負担が増えれば、先日書いた「雇用の流動化」(これにも奥田氏は賛成している)とあいまって、ますます個人消費が低下して、いつまでたっても景気は良くならないと思うんだけど、ど うなんだろう?? そういえばこの人、少し前に環境税についても「産業活動に足かせとなるから」と反対していたっけ。 年金についての考え方といい、環境税についての考え方といい、奥田氏の判断基準は「企業活動にとって短期的なメリットがあるかないか」という非常に狭いものでしかない。そんな人が経済団体のトップに立ってていいの??...

Posted in 私的スクラップ帳 on 2003年11月24日 00:34



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